2008年09月17日 Tweet It!

B・フリードマン・スピーチ(3)

この記事は(2)から続きますが、カテゴリ「近現代史」で連続して読めます。

われわれアメリカが参戦した後、シオニストは英国を訪れ、次のように言いました。「さて、われわれは合意内容を実現しました。あなたたちが契約を守り、戦争に勝利した後、パレスチナを我々に与えると示した書類を何かの形でください」
戦争は1年で終わるか、もしくは10年続くか分かりませんでした。そこで、イギリスは受理書を作り出しました。この受理書は手紙の形をとりました。この手紙は非常にあいまいで暗号のようで、世界の大部分はそれが意味するところが分かりませんでした。これが、バルフォア宣言と呼ばれるものです。
バルフォア宣言は英国の約束に過ぎないのです。シオニストにアメリカを第一次大戦に参戦させた報酬として合意したものを支払うという約束。だから、この偉大なバルフォア宣言は3ドル札が実在しないように全くのペテンです。これだけ言っても、私は、誇張しているとは思いません。

そして、ここからすべての厄介な問題が始まったのです。
アメリカ合衆国が参戦した。アメリカはドイツを破った。そうなりましたよね。1919年に戦争が終わり、ドイツ側がパリ講和会議のためパリに行きました。そこには117人のユダヤ人がいました。バーナード・バルークを代表としたユダヤ人を代表する代表団でした。私がそれを知っているのは当然!自分がその一員だったのですから……

それからどうなったか?
平和会議は、ドイツを切り刻んで、ヨーロッパの領土のある部分が自分のものだと権利を主張する国々すべてに分配しようとしていたのですが、そこに参加したユダヤ人たちは「われわれのパレスチナはどうなるの?」と言いました。そして、ドイツ人には初耳となるこのバルフォア宣言を提示したのです。
それで、ドイツ人が、初めて気がついたのですね。「そうか、あれはゲームだったんだ!アメリカが参戦した理由はこれだったんだ!」
ドイツ人は初めて認識しました。自分たちが破れ、恐ろしい金額の賠償金を課せられたのは、シオニストがパレスチナを欲しかったためで、どんな犠牲を払っても手に入れようとしていたからなのだと……

これにはとても興味のある点があります。
ドイツ人がそのことを悟ったとき、ドイツ人は当然それを恨んだでしょう。
この時点までは、ユダヤ人は、これはドイツ以外の世界のどこの国でも受けられないほどのいい暮らしをドイツで享受してきたのです。
ドイツにラーナウ氏がいましたが、このラーナウ氏は、アメリカでバーナード・バルークが産業や金融界で占めている立場より、ずっとずっと100倍も重要な人ではないかと思います。
バーリン氏は2つの蒸気船の航路−北ドイツロイド航路とハンブルグ・アメリカ航路を所有していました。
Bleichroder氏はHohenzollern一族のための銀行家でした。
ハンブルグのウオーバーグ氏は世界最大の巨大マーチャントバンクの持ち主でした。
ドイツではユダヤ人は繁栄を享受していたのです。そのことについては間違いありません。
そこで、ドイツ人は「なるほど。それなら全くの裏切りじゃないのか」と感じたわけですね。

(4)へ続く

これほど分かりやすい「バルフォア宣言」の説明は初めてです……


posted by 狭依彦 at 22:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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