2008年09月19日 Tweet It!

B・フリードマン・スピーチ(5)

この記事は(4)から続きますが、カテゴリ「近現代史」で連続して読めます。

背景を時系列で述べましょう。
1918年から1919年にかけて、共産主義者が数日間ババリアの支配権を得ました。ローザ・ルクセンブルグ、カール・リープクネヒトなどのユダヤ人が政府を三日間支配したのです。
実際のところ、カイザー(皇帝)は戦争を終わらせてから、オランダに避難していたのです。ロシアであったように、共産主義者がドイツを乗っ取り、カイザーはロシアのツアーと同じ運命が待っている思っていたからです。だから、安全を確保するためにオランダに逃がれていたわけです。
ドイツでの共産主義者の脅威が鎮圧された後でも、ユダヤ人はまだ活動を続けていて、以前の立場を取り戻そうとしていました。
ドイツ人は出来る限りの方法でユダヤ人と戦っていました。でも、ドイツ人はユダヤ人の髪の毛一本損なうことはありませんでした。
それは、ちょうどアメリカで、禁酒主義者がお酒に興味を持つ人々と戦っていたのと同じようなものでした。ドイツ人とユダヤ人はピストルで戦うことはなかったのです。これこそがドイツ人がユダヤ人と戦ったやり方でした。
それでも、ユダヤ人はすべての報道機関を支配しており、経済の大部分を支配していたのです。それは何故かというと、ユダヤ人はマルクが切り下げになった時、安いお金を持ち込んで、実質的にすべてのものを買い占めていたからです。

ユダヤ人はこの事実を覆い隠そうとしました。自分たちがドイツを裏切ったことを、世界の人々に知らせたくなかったからです。
ドイツ人はそのことに怒りを覚えました。

ドイツ人たちはユダヤ人に対してしかるべき行動をとりました。ドイツ人は、そうですね、それが可能な場所ではどこでも、ユダヤ人を差別するようになったのです。ユダヤ人を避けたのです。
ちょうど、アメリカ人が、中国人、ニグロ、カトリック教徒などアメリカにいてアメリカを敵に売り渡し、われわれに敗戦をもたらすような人たちを避けるようなものです。

しばらくして、国際ユダヤ人はアムステルダムで会議を開きました。1933年7月世界中の国からユダヤ人が会議に集まりました。
会議では、ドイツに対して、「ヒトラーを辞めさせろ。ユダヤ人すべてを元の地位に戻せ。それは、共産主義者であろうが、どんな人であろうがユダヤ人全部だ。ユダヤ人をこんなふうに扱っていいのか。そして、われわれ世界中のユダヤ人は、あなたたちドイツ人に最終通告をする」
ドイツ人がどのような返事をしたか想像できますか?そして、ユダヤ人が何をしたか?

1933年、ドイツはアムステルダムの世界ユダヤ会議に降伏することを拒否しましたが、同時に会議は解散しました。
そして、アメリカのユダヤの代表であり、会議全体の議長でもあったサミュエル・アンターマイヤー氏はアメリカに帰ってきました。同氏は、汽船から降りるとコロンビア放送のスタジオに直行して、米国全土に向かってラジオ放送を行いました。
放送では「世界中のユダヤ人がドイツに対して、今、聖戦を宣言します。われわれは、今、ドイツ人に対して聖なる戦いを行っています。そして、ドイツが降伏するまで、ドイツを飢えさせてやりしょう。ドイツは輸出に依存していますから、われわれの聖戦はドイツをつぶすでしょう。」

実際、ドイツの食糧の三分の二が輸入されていました。この輸入は、輸出で得た利益だけ頼るものだったのです。だから、ドイツが輸出できないとなると、ドイツ人の三分の二が飢えることになります。ドイツには人口の三分の一を養うだけしか食糧がありませんでした。
さて、この聖戦宣言を私は今ここに持っています。1933年のニューヨーク・タイムズの記事です。
サミュエル・アンターマイヤー氏は次のようにはっきりと言い放ったのです。「この経済ボイコットはわれわれの自衛手段であります。ルーズベルト大統領も国家復興政府でこれを支持しています。」
覚えておられる方もあるでしょうが、当時、国家復興政府では、ニューデールによって決められた規則に従わない、もしくは最高裁判所で憲法違反と宣告されない限りは、誰でもボイコットされることはなかったのです。
それにもかかわらず、国際ユダヤ人たちはドイツに対してボイコットを宣言したのです。
ボイコットは大変効果があり、「メードイン・ジャーマニー」と書かれた製品は世界中のどこの店でも一点たりとも見つけられないほどでした。
実際、私がウールワース株式会社の重役に聞いた話では、同社は数百万ドル相当の陶器やお皿を川に投げ捨て、店にやってきたお客が「メードイン・ジャーマニー」の文字がついた皿一枚でも見つけたりしたら、店はボイコットされたそうです。南部では、店の前で、「ヒトラー」「殺人者」などなどのプラカードを持った人たちがピケを張り、座り込みデモのようなことがあったようです。

(6)へ続く


posted by 狭依彦 at 21:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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