2009年04月16日 Tweet It!

権力関係者

ブタの置物を庭に飾ったとしてイギリス男性が逮捕される

ブタの置物を庭に飾ったとして、おとうさんがベッドから引きずり出され、逮捕された。
逮捕したのは隣に住む警察官で、自分をからかおうとして置物をそこに置いたと主張している。
逮捕されたのはRobin Demczakという57歳で、留置場に入れられ、約7時間も拘束されて、警察官の同僚によって陶器のブタについて厳しく尋問されていた。

男は、この陶器のブタはその場所に8年間置いてあったと説明して、起訴されることなく解放された。隣の警察官は住んで4年経っただけだったからだ。

元記事

(アイクさん)
このことは、権力に関係する者たちの多くにますます見られるようになった傲慢の極端な例である。
彼らは、自分がばかげた制服を着ているので、どういうわけか「一般市民」よりも優位に立っており、彼らが奉仕するべき公共よりも自分の方が重要であると信じ込むことを助長されている。
彼らに対する私という心理は、権力のために権力を求める者たちを指名することによって警察や政府の「トレーニング」機関によって体系的に導入されている。
しかし、権力があるのは制服であり、彼らではないのだ。
制服を脱いだら、どこに権力があるのか?
制服は国家の延長であり、彼らではないのだ。
彼らは消費される手先で、オーウエリアン世界(単一独裁)を押し付けるのに手を貸している。その世界に、自分たちの子供や孫が暮らさなければならないのに。彼らの子孫は、きっと、大喜びするだろう。


「権力のために権力を求める者たち」って、私達の国の政治家とか、まあ、警察とか、軍隊にもいるでしょうね。会社にも、ガッコにも。
私、狭依彦は、そのような者たちを「(霊的な)狐狸(動物のみなさんごめんなさい)」と呼ぶことにしています。
狐狸の他に、この狐狸をうまく利用している「奴ら」がいると思います。

私達の国にも、数十年前まで、オマワリさんは「オイ、コラ!」で、特高とか憲兵隊とか隣組とかありましたね。
そんな経験が世界のお役に立てる(どんな貢献か)なら、国民として喜ぶべきことでしょう。


posted by 狭依彦 at 22:41 | Comment(10) | TrackBack(0) | 霊性・肉体破壊陰謀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「転び公防」って本当に恐ろしいですね。
国連は日本に従軍慰安婦問題を取り上げるのに、何故、不当逮捕の「転び公防」の日常化を取り上げないんでしょうかね。

やっぱり国連てもっと高レベルで立派な所なんですね(皮肉)
Posted by はろるど at 2009年04月17日 13:33
そのおまわりは謝ったのか?ん?

権力志向の人って、、、ゆがんでいる自分に気づく事すらない人、という印象。
Posted by kanchama at 2009年04月18日 01:53
「彼らが奉仕するべき公共」
パブリックサーヴァント(Public Servant)
公務員、公僕(公のしもべ)の意味ですね。
この公(おおやけ)の概念がどのくらいわかっているのかも大切なことだと思います。
重要な仕事なので別に一般より優遇されててもかまわないと思うのですが、まずはこのことがわかっていないとお話にならないと思います。
Posted by むづかしい問題 at 2009年04月19日 07:41
「Public」 って、なんとなく、公(政府が管理)というより、公共、一般大衆庶民自体、一般大衆庶民がみんなでつかうもの、の事のイメージが強いのですけど・・・。
それって、“現実には民主主義という名ばかりの詐欺”のしくみと同じなんでしょうかね・・・。
Posted by macco sneezingsparrow at 2009年04月21日 09:13
私は民主主義はキリスト教中心社会のベースの上に初めて成り立つものかと思っていたのですが、米国のキリスト教原理主義は崩壊をねらってわざと作り出されたような気がしてなりません。
まったくその上に立っていない日本に移植したのはある種の社会実験だったのかと疑っています。
Posted by むづかしい問題 at 2009年04月21日 11:22
き・・・きりすと教って、理論的には、民が主ってあるんでしょうか・・・、てっきり、結局は絶対、主が主なのだと思ってました・・・。
(すみません、いじわるなつもりは全くないです。ふと気付いた、超素朴な思いつきです。。。)
Posted by macco sneezingsparrow at 2009年04月25日 10:41
単なる私自身の解釈なんですが、
キリスト教中心の西欧世界では一つの神の下でみなそれぞれに平等で神の下に自由な人間がそれぞれにいるという設定ではないかと。
それぞれに独立した個人が主体となっているので全体主義にはなりえないかと思ってました。逆に日本では個人主義がむづかしい社会なのではないかと思ってます。

Posted by ぽぷら at 2009年04月25日 16:22
このキリスト教関係の「一つの神における神の下の人間の自由」の「自由」の部分だけが切り離されて入ってきて、なんでも野放図にやってよい無制限のものと誤認されやすいので日本の社会にさまざまな問題が生じてきたのではないかと。

そうだとしたらこれがある種の社会実験として意図的に行われたものなのかという点も気になっている部分です。

私だけがそう思っているだけなのかもしれませんが、いろいろなものに対する誤った認識が特に最近世の中にあふれているような気がして、それもまた、意図的なものなのかつながりがあるようにも思えています。
Posted by むづかしい問題 at 2009年04月25日 16:45
なるほど!
ぽぷらさん、むづかしい問題さん、ありがとうございます。

私は、現在進行のキリスト教の事、あまりよく知らないので、勉強になりました。
「一つの神の下でみなそれぞれに平等で神の下に自由な人間がそれぞれにいるという設定」、
「一つの神における神の下の人間の自由」、
・・・キリスト教の権力者の人たちもみんなそのつもりでいてくれたらいいのに、と思います。

キリスト教の神を信じようと信じまいと、
“一つの神の下でみなそれぞれに平等で神の下に自由な人間がそれぞれにいるという設定”、
そのように生きて一生懸命がんばって、素晴らしい事をしたキリスト教の人たちもたくさんいたと思うし、今でもいると思います。

 でも、西欧の歴史上の権力者にそんな人で有名な人はあまりいなかったんじゃないかと思います。・・・ってゆうか、悪者ばっかり名前が残ってきたからでしょうか・・・。

Posted by macco sneezingsparrow at 2009年04月25日 19:58
宗教は心の中の問題でもあるので、あるひとつの宗教の信者を名乗っていても、本当にその人がその宗教を信仰しているのかはなかなかわかりにくいものだと思います。

ユダヤ陰謀論でよく言われているように別の宗教の中へ潜り込んで内部から崩壊を企てたり、或いは本当は他宗教の信者であっても、迫害から逃れるためのやむなき行為でもあったりするのでしょう。

キリスト教ひとつにしてもたくさんの宗派があり、中には本当にこれがキリスト教か?と思えるようなものもあるようで、他の宗教にもいえることのようでこれもまたむづかしい問題だと思います。

いずれにしても宗教は歴史の上で支配や金儲けや権力行使の手段として悪用されてきたみたいですね。

Posted by むづかしい問題 at 2009年04月26日 01:14
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。