ローバート・キャパが撮影したスペイン内戦の写真で、リパブリックの兵士が後方から放たれた弾丸で絶命する瞬間を捉えた写真がある。この写真は、実際には、ヤラセであったとスペインの新聞が金曜日に報道した。
「キャパはこの写真を戦闘が無い地域で撮影した」とバルセロナの新聞El Periodicoは報道している。同社は開戦から3ヵ月後の1936年9月に撮影されたこの写真の調査を行った。
ロバート・キャパ(WIKI日本語)
戦争写真や絵画がヒューマニズムとの関係でとりあげられることがあります。
この写真はヤラセらしいですが、ヤラセでない写真でも、カメラマンや画家がどんな立場でその場所にいたかを考えるべきでしょう。
わたしたちは写真からその立場を見分けられるのでしょうか?
ベトナム戦争でも、ありましたね。親子が戦火を逃れて川を渡っているところを撮影した写真。
その写真がメーソンの人脈で戦場に入ることを許されたカメラマンが撮影したことを本で知ったとき、「そこに描かれているヒューマニズムとは何か」と、非常に複雑な気持ちになったことを思い出しました。
ただ、戦場の写真家は戦火で死んでいることが多いので、命をかけて写真をとっていることは間違いないでしょう。
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でも 本人達は「良かれと思って、本気で報道で何かを伝えたいと思って」やった志を「利用」されたとするならば、確かに「命を賭けた意義」じたいはあったかもしれませんね・・・。
ただ、基本的に人が「殺される」ところを写す人達のことは、個人的にはあまり理解できません。
とくに、「今 死にそうな人が、死んでゆくところを写す人や、もしくは写せと命令する人(例えば、洪水などで川にながされそうになっている人を、ヘリコプターに乗って写してる時など)」のことは。
「自殺した人」を写すカメラマンも・・・。
自殺の方は、自殺じたいを決して保護する気はないですが、
でも自殺を「今しようとしてる人」を写すヒマがあったら、なぜ止めようと 助けようとしないのか・・・。
そして、川に流されて「死にそうな人」を なぜヘリコプターから助けてあげようとしないのか・・・。
むしろ 救出しようとするレスキューの人達などを、もしかしたら 邪魔すらしてるのではないでしょうか・・・。
疑問を抱いた人は誰もいないようですが。
メーソンと言うのは平和を目指しているものなのでしょうか?
「中には ほんとうに良い志を持って入った者もいるかもしれないが、そんな人達も結局はその志を利用されている」という印象があります。
でも アイクの本を読んでいると、
基本的にメーソンじたい よく思ってないようですよね。
僕は どの「位」の者であろうと、
結局メーソンは イルミの主要血流の者にみんな利用されてるのかなぁとは思いますが・・・。
ちなみに、メーソン以上に「イルミの13血流」の者達って、
よく「支配権」を独占したがったりしないなぁとか、
それこそ あれだけの者達がその同じ「アジェンダ」を実現しようと従える(?)のは
なぜなんだろうとは思います・・・。
500万人の会員がすべて「知っている」人のはずはないですね。
http://icke.seesaa.net/article/123898776.html