5歳の英国少年Williamが、親友のアジア系の少女Zoeに、口げんかで‘Zoe Bin Laden’と言った。なお、少女はエジプトの古いキリスト教派である。
これを聞いた学校側は、少年と少女の母親を呼び出し、女性校長がその少年の発言を「人種差別主義」であると大問題にした。そこには、警察官が2名事前調査としてオブザーバーで参加していたという。
この話を聞いた近所の人は次のように語っている。「ほとんどパニックのように、両方の母親たちは地元の学校へ急行した。私は、両方の母親を個人的に知っていて、二人とも教育もあり視野も広い人たちだ」
二人の母親は別々に「取調べ」を受けた。
ウイリアム少年の母親が学校に着いたとき、息子は他の子供から隔離され特別室に入れられていた。
「取り調べ」が済むまで、学校側は母親が少年に接触することを拒否していた。母親は文句を言ったが、ただ少年を見ることだけが許されただけで、少年は怯え、涙を浮かべていた。
少女の母親が、5歳の子供が人種の概念を理解しているはずもなく、テレビで見た言葉を使っただけと弁護して、学校から二人の子供を帰そうとした。
学校側は、そんなことをするとソーシャル・サービスに事件を持ち込まなければならないだろうと言った。
警察官は、学校側が事を誇張していることに困惑気味であったという。
結局、母親と子供たちは家に帰り、一緒に遊んでいるが、母親二人はソーシャル・サービスから、関係している家族に会いたいとアポの手紙が来て、「事件」は現在ソーシャル・サービスで捜査中ということだった。
また、少女には学校から手紙が来て、「ウイリアム少年の言動は彼の学校の行動記録として残される」とあった。
元記事
「人種差別主義者」の烙印を押されたら・・・・だめでしょうね。
人種差別をしている人たちも、人を「人種差別主義者」にしてしまう人たちも、同じ穴のムジナでは?
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ホントそうです。どっちもどっちと言いたくなることが多いです。
こっちを善とするから、あっちが悪となってしまうんですよね。
生活の中に取り入れて理解するのは難しいことですが、つまり、こういうことなんだと思います。
「人は善であろうとして努力するが、その善の中にその対立物たる悪が存するのだ。断言的なことはすべてその対立物を有しており、何かを克服しようとする努力はそれが求めているものとは逆のものを強くさせてしまうのである。」
Twitter krishnamurtibotより
どういう立場を取ったとしても、「誇張」で動くのだけはやめたいものですね。