国連が後援者となってるポスターキャンペーンが新しく始められたが、そこでは人間を野生動物を絶滅させようという意思を持った恐怖映画の怪物として描いている。
また、他の例では、優生主義者たちのローマ・クラブの1991の決定に従って、地球を守るという口実で世界政府を打ち立てるため、ホモ・サピエンスを敵として描いている。
この3枚のポスターは有名なジョーズ、キングコング、タランチュラの役どころをもじったもので、人間に無防備な種を殺す怒り狂った怪物として性格を与えている。これらは、Convention on Migratory Species(移動する種に関する会議)によって作られた。
このポスターキャンペーンはUNEP(国連環境計画)が後援しており、この組織はコペンハーゲンで話が進んでいる「グローバル・ガバメント」(世界政府)の環境政策部署となる見込みである。
どのポスターにもUNEPのロゴが画像の下部に入っている。
元記事
コペンハーゲンの記事もあるのですが、最近日本のニュースなどが頭に入らず、いまいちどうなっているか把握できていませんので、まとまったものがあれば紹介します。
グローバル政府の下書きは出来るのでしょうか?
陰謀論でコペンハーゲンを考えると、どこにも日本政府の言及はありませんが、私が想像するに、「京都程度ではだめだ、ドラスティックな対策を。金も(わが国にしては)沢山出しましょう」という日本は「うれしそうに尻尾を振ってボスの前を走るイヌ」というところでしょうか?
そこの国民で「コペンハーゲンで、途上国の無理解によって、実効的なCO2対策ができないと大変なことになる」とNHKと一緒に心配している誠実な人は何?
などと言う私は、人から見たら狂人ですかね?
【環境・災害の最新記事】
「彼等」の正体は実は真に善の存在が支配している悪の存在ではないかと。
ロックフェラーの書簡やヒトラーの予言にそれを示唆する箇所があります。
家畜に近づく人々と精神の貴族、果ては超人に近づく人々。
当然家畜になるほうが楽ですが、もう一方に進化しきれない半端な人々は抹殺されるかもしれません。
なんにせよ、時代の流れはより精神的なレベルへと上昇しながら進んでいっているように感じます。
いわゆる水瓶座の時代の到来ですね。
「協議なき企み」は着実に浸透していると思います。
一種の、善悪の「一元論」というか、「必要悪」のような見方というのはほんとうに人によって考え方があるかもしれないので、それを他の人に説明するのは もしかしたらとても難しいことかもしれませんね・・・。
最近 昔読んだことがあった「悪魔の系譜(J・B・ラッセル)」という本を久しぶりに引っ張り出して読み返したのですが、その本に聖アンセルムスという人の「自由意志」や「聖書」や「神」の考え方に、ちょっと興味をもちました。
〜「自由意志を引き起こす『何らかの条件』」が存在するなら、その選択は「完全に自由なもの」ではない。自由意志とは 決して強制されず「何の原因も持たず」、紛れもなく「絶対的に自由なもの」であるはずだから。
我々は「選択の自由」があることを経験し、時に悪しき選択をしてしまうという感じをも経験する〜
〜アダムとイヴは自分達の選択に対して「充分に責任がある」のだから、例えサタンの介入がなくとも原罪は生じえただろう〜
〜神は、予定や予知といった「時間の中」にいて先を見ているわけではない。そうではなく、神にとっては「すべての時間が永遠の今」であり、神は「アルファからオメガ」にいたる宇宙の全体を見ているのだ。神は全知であって自らの宇宙のあらゆる細部を知り、全能であってすべての細部に責任を持つ。神自身の自由は完全である〜
特に3番目のくだりって、アイクのいう我々1人1人の(?)「全一(ワンネス)」の説明になんとなく似てるような気がしました・・・。
「支配者層」にとって「宗教」とは、「神」とは、
もしかしたら「神なしでは生きられない」者達をまずつくっておいて、
そして もしかしたらそういった者達をまるで
「善なる神の一面ではない、二元論の悪魔」のような、
もしくは「悪魔の一元論」のような反キリスト(サタン?)の勝利で、ゆくゆくは絶望させるためにつくったのではないでしょうか・・・?
さらにもしかしたら、最終的には神や悪魔さえもいないただ善も悪も利用する「この現実の」支配者層に「騙されていた」ことに絶望させて、もう「自分では希望を持てなくなっている」者達を自殺志願者のように洗脳して、人口削減計画などの支配者層達が「勝手につくりあげた裁き」に流されるように率先して滅んでもらう、ほんとうに長い時代をかけてつくりあげてきたアジェンダの一環なのではないでしょうか・・・?
もちろん くまでもこれは僕の考えですし、
それぞれの「神」に何を求めるかは ほんとうに人それぞれだと思います。
その中には、もしかしたら自分のみならず、自分以外の人達にも希望を与えてくれる人だっているかもしれません・・・。
僕は、「意識」も「霊」も「脳神経による精神」も「経験」も「肉体」もその「心・技・体」があるからこそ、我々はそれまでの限界を常に超えて(アイク的にいえば)色んな意味で「目覚める」ことに意味があるような気がします・・・。
(1)人類を支配したいものたち(イルミナティ)の人工的な活動(人口削減も含む)
=>
(2)その後、「神」的な存在による働きかけ(アセンション的なものも含む)
がやってくると思っています。
この(1)、(2)の実行者が神か悪魔かなどと考えると非常に難しいことになります。
まあ、単純に「そんな理由で殺されるのはいやだ」という生き方をしたいものです。
『霊界物語の掲示板』で私がコメントしたものです
--------(引用)--------------------------
今年は主の最後の忍耐の年である。言っておくが、十年から主の裁きが始まる。
あの人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどの人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びるのである。
----------------------------------------
引用に対する私のコメント
そのようなことがある可能性はあるのですが、どうやって「悔い改めない」人にだけ「裁き」を与えるのでしょうか?
どうやって「悔い改めた一部の人」だけが救われるのでしょうか?
「霊・魂」の問題というのは必要以外やめましょうね。議論にならない。
例えば、人工飢饉になった時「その人だけ」に食糧が渡されるのか?その人だけ「ワクチン」がもらえるのか?
(1)もし、世界を支配しようという勢力(Aとする)があって人口を減らそうとして「災害」を起こすとします。ここで殺される対象となっているものたちをBとします。
(2)それに対して「善」の神が怒り、天変地異を起こしてAを滅ぼすとしましょう。
(1)(2)が起これば、Aも滅びるけれどBも一緒に滅びるというのが論理的な帰結ではないでしょうか?
(1)だけならAは滅びないだろうけど、Aが決めた率でBの何割かは滅びますよね。
Bに入っている人が悔い改めたってAに入るのはできないのじゃありませんか?
またどうやって「悔い改めた」ことを示すのでしょうか?
またこのAが神(この場合「裁きを行うもの」)だと言っている人もあります。
それでも、「悔い改めた人」だけ助けるのは難しいのでは?
まあ、体内にマイクロチップでも埋め込めば、埋め込んでいない人を殺すことは可能でしょうが……
後から
引用の「あなたがた」を読み違えているかも知れませんね。
あなた、あなた、あなた、あなた……に対して言っているのではなく「あなたがた」全体に対して言っている。
でも、全員が悔い改めるなんてことあるのでしょうか?
あの人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどの人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びるのである・・・
僕は霊界物語のことは詳しくはわからないですし、それぞれが信じている「神」があると思うのであくまでも僕の意見なんですが、
基本的に、もし「主」(神?)のような存在がほんとうに「完全」な存在であるのなら、その完全な存在がする「裁き」って、1人の人間としての価値観を持っている僕からは正直想像もできません。
なので、その神様がまず何にそこまで怒っているのか、そして「何を悔い改めて欲しいのか」をまず知りたいです・・・。
>引用の「あなたがた」を読み違えているかも知れませんね。
あなた、あなた、あなた、あなた……に対して言っているのではなく「あなたがた」全体に対して言っている。
でも、全員が悔い改めるなんてことあるのでしょうか?
例えばアイクを参考にして考えると、僕は、アイクがよく「全一」などを「海」とかで表現する時に、我々その海の一粒一粒は「ひとつの海」のような意識であるというようなことを伝えてる理由をよく考えます。
「自分」の意識は、ほんとうは「みんな」とつながっているということなのか・・・?
その真意は今の「心・技・体」を持っている僕にはまだまだ理解できませんが、少なくとも アイクが例えどんな「側」の人間であったとしても、みんなを「つなげたい」と思ってるのではないかと信じています。
それは「みんなオレになれ!」というエゴではなく、ほんとうに「みんなのために」どうすればいいかをアイクなりに追い求めているのではないかと・・・。
そんな風に考えると、アイクは「悔い改めてほしい」というよりも、
「あなたならどうしたい?」と、むしろ「我々1人1人が『どうしたい』のか」問いかけているように感じることさえあります・・・。
まさにその通りだと思います。
霊界物語の読者では私だけかも知れませんが、その同じことを『霊界物語』から感じます。