2010年01月27日 Tweet It!

ハイチと平和維持軍

国連平和維持軍が飢えているハイチの人々にペッパー・スプレイ

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飢えたハイチの人々が数千人も街に繰り出し、食糧を配布している青いヘルメットをかぶった国連平和維持軍の小部隊と有刺鉄線に打ち勝とうとしている。
この混乱した情景はPort-au-Princeの破壊された大統領公館の外で繰り広げられている。破壊的な地震が襲ってから2週間たったが、支援機関はハイチの絶望した4000人の強力な群集をコントロールしようと苦心している。
治安維持軍は空中にペッパー・スプレイを発射して食糧を求めて競いあう数千人の男女子供を散らそうとしている。

元記事

元記事に写真があります。
ただの暴動の手前に見えますが、英語の記事を読むと歴史的な深い根があるように思います。
しかし、さっと読んでも、なかなかハイチの政治的な状況はつかみにくく、紹介できない状態です。


posted by 狭依彦 at 23:28 | Comment(7) | TrackBack(0) | 国際中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なにか、小規模の、シミュレーションをしているようにも、見えますが。
Posted by 五次元 at 2010年01月28日 10:48
前にQ・サカマキさんという方の「戦争」という写真集に載っていた、内戦当時のハイチの政治状況の文章と、
この方のHPhttp://www.qsakamaki.comの方にある「Gallery」の「Haiti‘s DejaVu」というところにその頃の写真が何枚かありますので、よかったら参考にしてください・・・。


「2004年、人口約800万弱の西半球の最貧国ハイチでは、歴史の歯車がまたもや逆戻りしてしまった。大統領だったアリスティードが2月29日、彼にとって2度目の亡命を強いられ、国が再び無法状態に陥ったのだ。90年代半ば、アリスティードによって解体され、隣国ドミニカなどに逃げ込んでいた旧国軍の兵士達が舞い戻り、首都を制圧したのである。

アリスティードの亡命前後、首都ポート・プランスでは、外国企業のオフィスや商店が略奪に遭い、破壊、放火が広がっていた。『両手を縛られた死体』があちらこちらに転がり、眼をくりぬかれ、顔の肉をそぎ取られた死体まであった。それをストリート・チルドレンが眺めていた。また、『総合病院の遺体安置所はといえば、腐敗して顔の見分けがつかなくなった死体が部屋の外にはみ出すほど山積みとなっていた』。電気などまともに通じなくなった混乱下、医師や管理スタッフ達は自分達の安全のために逃げ出していたのである。かわって、首都は銃声と立ち上がる煙で包まれていた。

ハイチはかつてフランスの植民地で、1804年、反乱を起こした奴隷達がナポレオン軍を破り、世界初の黒人国家として独立した。しかしそれ以来、33回を超えるクーデターがあり、国民はずっと政争の犠牲になってきた。そんな歴史が続いた後、1990年に初の民主的な選挙で大統領に選ばれたのがアリスティードだった。もとは貧困からの救済を唱える「解放の神学」を信奉するカトリック神父(反アリスティード派はブードゥー教?)である。
「雨の粒は一粒だけか?集まれば大きな河になるではないか」
カリスマ性を帯びた弁舌で、政治から疎外され続けた人々を陶酔させた。翌年クーデターで国を追われたが、1994年には『クリントン政権の力を借りて、亡命先のアメリカから帰還した』。

しかし国際社会が大々的にサポートし、アリスティードが夢を描いたハイチの安定と復興はつまずくことになる。旧軍事政権につながっていた特権階級を重視しなかったため、彼らの持つ欧米とのコネを失い、経済は崩壊に向かっていったのだ。同時に、大統領の取り巻きは不安定な政権を維持するために『ギャングと変わらない民兵を使って、反アリスティード派の動きを抑えたため、暴力や腐敗も広がっていた』。2000年の議会選挙ではアリスティード派政党のラバラスが圧勝したが、国際社会からも不正選挙と見なされた。そして外国からの資金援助は断ち切られ、反アリスティード運動が高まり、2004年2月、ドミニカからハイチに侵入した旧武装勢力が首都侵攻をを果たしたのだった。
とはいえ、2004年のハイチの内乱をアリスティードのせいだけにするのは単純すぎる。

むしろ、『裏でアメリカが仕組んだ可能性も指摘されている』。
アメリカは、まず彼が圧倒的に国民から支持されていたにも拘わらず、IMF(国際通貨基金)と世界銀行を軸とする外国からの資金援助凍結に賛成の意向を示し、復興のチャンスをつぶした。また、『旧軍部武装勢力の侵攻を防ごうと思えばできたはずなのに、あえてそれをしなかった。それどころか、反政府軍に軍事援助をしていたといわれている』。少なくともアリスティード政権の転覆に眼をつぶっていたのである。イラクでは民主化を唱え、それを維持するためなら膨大な資金と多大な兵士の生命も問わないブッシュ政権が、小国ハイチでは民主化をつぶす方向に動いていたのである。
・・・そして2006年2月、ハイチでは旧軍部につながっていた暫定政権が選挙で負け、アリスティード派のルネ・プレヴァルが大統領に就いた。だが、アリスティード自身は今だに亡命したままで、『ハイチは相変わらず暴力と混沌の中にある』」
Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年01月28日 12:36
写真集の方にも HPの画像と同じものがあったのですが、その写真にあった説明文ものせておきます。

HPの方でいうと、15枚中8枚目の少年(?)の遺体は、「反アリスティード派と思われる」理由で見せしめのために殺されて捨てられたようです。
そして 13枚目の病院の遺体置場に山積みにされた遺体の山は、反アリスティードと思われる者達に復讐された「アリスティード派と思われる者達」みたいです・・・。

この写真集は2006年までのハイチの現状は伝えてくれたものでしたので、最近はどうなっていたのかはわかりませんが、そういう過去はあったようです・・・。
Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年01月28日 12:52
結構、複雑で難しいでしょう。
それに加えて、地下資源のことがあるとしたら。
理解するのが難しいですね。
Posted by 狭依彦 at 2010年01月29日 00:40
それでも 地球と人類を愛した者へ さん、
スゴイ事、わかりやすく教えてくれて本当にありがとうございます。
ハイチ歴史の事全然知らなかったし、何か調べてた時に出くわした事もなかったでした。
そんなつい最近なのに、そんな世界に生きなければならない人達、本当に大変ですね・・・てゆうか、悲しすぎです・・・。
Posted by macco sneezingsparrow at 2010年02月04日 19:02
いろいろ英語の文章読んだり、写真を見ていたら、ハイチってほんとうに悲しすぎですね。
Posted by 狭依彦 at 2010年02月04日 21:42
参考になれてよかったです(^^)

ハイチも地震の被害がまだまだたいへんな現状だと思いますが、最近はひと頃ほどあまり報道されなくなっている気がしますね・・・。
Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年02月05日 09:07
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