砂漠の嵐作戦(WIKI日本語)
コリン・パウエル参謀長がイラク軍の死者について聞かれたとき、パウエル氏は「分かりません。それを調べるようなことは何もしないつもりですから」と答えた。
実際には、退却するイラク軍は、「攻撃しない」と言明していたアメリカと同盟軍から攻撃され、10万人近い死者が出ている。
(1)1991年2月22日、ホワイトハウスのスポークスマン、マーリン・フィッツウオーターは「米国とその同盟諸国は退却するイラク軍を攻撃しない」と繰り返した。これは、残酷ないかさまであった。
(2)1991年2月25日、サダム・フセインはイラク軍に対してクエートからの退却を命じた。
(3)1991年2月25日、クエート市から出ている道路のジャンクションで、米国の海兵隊の航空機が地上部隊を援護して到着。クエート市から出る道路で車五台分の幅で車での物資・人の流れがあるのを確認。
車にはイラク軍の兵士が沢山乗っていた。ほとんどが武装を解除していた。また、いろいろな国の民間人も混じっていた。
海兵隊は車が町を出ることを許した。しかし、車が進む前方を妨害して、渋滞で車と数千人の乗員が動けなくなってしまった。
(4)1991年2月26日、米軍は渋滞で止まっているイラク軍に対して攻撃を開始「死のハイウエイ」が開始された。米軍は高地から防御手段の無い兵士達を攻撃。
同盟軍のジェット機は繰り返し渋滞に巻き込まれた車両と人々を爆撃した。
米軍のシュワルツコフは「クウェート市から人っ子一人出してはならない」と命令した。
(5)翌日、道路は破壊された車と、死体から出た血で染まっていた。首の無い死体とか、悲惨な状態であった。
(6)同様の攻撃は別の道路からイラクに帰ろうとした軍にも行われた。
(7)3月2日は、停戦が発表されてから2日後になるが、イラク軍の部隊がバスラの西50キロのハイウェー8号線の同盟軍との分界点を移動中であった。
イラク兵士は武装を解除して、武器は車に積んで移動していた。日向ぼっこをしていたり寝ている兵士もあった。
米軍はこれらの兵士を恐れる必要は何もなかった。
そのとき、イラク軍から米軍に一発の弾丸が打ち込まれたという。
それを機に、米軍は一斉攻撃をはじめ、2時間で数千人のイラク人(民間人と軍人)が殺されたという。イラクの生存者はほとんど無かったという。
アメリカのニュースではこの事件を「米軍とイラクの小競り合い。米軍に犠牲者は一人もなかった」と伝えている。
(8)クエートでの地上戦の最初の二日(2月24日、25日)、米軍は戦車とブルトーザを使って、数千人のイラク兵士を生き埋めにした。
イラク軍は塹壕に入っており、米軍はその塹壕を両側から押しつぶすように重機で埋めていった。
イラク軍はベテランのリパブリック・ガードではなく、徴兵された兵士であったという。
兵士の中には2000人が降伏して、その者たちは埋められなかった。残りの8000名が砂に生き埋めにされた。埋められたものの多くは降伏しようとしていたという。
米軍の上官は「人を生き埋めにするのは汚いことだと分かっています。しかし、塹壕に兵士を入れ、敵兵を掃討するのも同じように汚いことでしょう」と語っている。
元記事
真偽は未確認。
文章の感じからして私は「あった」と思います。
ぜひ、ゆっくりでも読んで欲しい文章です。
確か、イラクの兵士の降伏については報じられていたことを覚えていますが、これが「埋められなかった」人たちでは。その裏で、こんなことがあったとは……
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真珠湾も本当は最初から仕組まれていたし、ベトナム戦争の引き金であるトンキン湾事件も自作自演。
もちろん911も自作自演だし、イラク戦も大量破壊兵器を保有してないのが分かっていながら戦争を行い、イラク国民を虐殺している。
平気で因縁付けて人を殺す、ヤクザ国家。
しかも米国民自身は自分たちが世界の平和を守っていると本気で考えているから余計にタチが悪い。
訳してはいませんが、砂の中から手足が出ていたとか、そんな表現もありました。
アメリカ軍の超秘密兵器、「プラズナー」を使った、と言う人もいます。
一方で米軍が散布した枯葉剤による犠牲者で体がつながって生まれたベトちゃん、ドクちゃんが来日して分離手術を受けた後、現在、一人の子はお医者さんになって活躍しているという話です。残念ながら、もう片方の子はその後、亡くなったようです。
イラク戦争の時も大量破壊兵器をイラクが保有しているというのが戦争の理由だったはず・・・。
どのチャンネルもキャスターやコメンテーターなど多数の出演者の中で抗議する論調は無かったように記憶します。
曰く戦争なのだから、とか混乱している状態なのだから、とか焼け死んでいるのが子供達を含めたイラクの一般の人達だとわかっているのに極めて米兵の行いに恩情溢れるコメントでした。
私は当時高校生程度でしたがこの時に指揮していたシュワルツコフさんが頭が良いだの米国最高の司令官だの称賛の声の中、惜しまれつつ勇退するのを観ていて強い憤りを感じたものです。
米国はそう言う国家だと仰る論調も多いですが少なくとも対イラクに味を占めたが故の今回のイラク戦争であったと思います。
その後のリビア、シリアと露骨な陰謀が続いています。
おそらく次はイランに狙いを定めています。
「焼け死んでいるのが子供達を含めたイラクの一般の人達だとわかっているのに極めて米兵の行いに恩情溢れるコメント」
当然ながら、当時からそのようなことだったのですね。