2010年03月20日 Tweet It!

米とイランの歴史

あなたの目で犠牲者を見なさい:これがイランだ。これからのアメリカの戦争で殺されるのはイラン人だ。

イランとの戦争を起こす理由が全くの嘘で反証可能であることを知らない人は、ここから始めましょう。
アメリカがイランの民主主義を覆し石油について好意的な独裁者を席に着かせたのが1953年から1979年。
次には、1980年から1988年にかけてアメリカが戦時物質を供給し直接イランの侵攻を援助し、再び、石油について好意的な独裁者を据えました。これは今に続いています。
これらの行為で100万人ものイラン人が殺されました。
この歴史はイランに対する戦争のためのアメリカの嘘のレトリックを考えさせてくれる適切な内容です。
そして、みなさんが全く「イランに対する戦争のためのアメリカの嘘のレトリック」に不快感を覚えられるなら、最初のパラグラフのリンクに戻ってください。

みなさんがアメリカの大量殺人という背信的な行為を止めたいなら、みなさんのネットワークにこの情報をどのように伝えるかを考えてください。
みなさんは理にかなったことを求めているのです。わたしたちの軍隊と政府が米国憲法の下で行動することです。わたしたちは憲法を実現するために税金を支払い、政府も軍隊も憲法を守ることを誓っているのですから。

参考 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1950年代はじめ首相モサッデグは国民の圧倒的支持を集めて、石油の国有化を断行する(石油国有化運動)が、1953年米英の情報部による周到な計画(アイアス作戦)によって失脚させられ、国有化は失敗に終わった。この事件によってパフラヴィー朝のシャー、モハンマド・レザー・パフラヴィーは権力を集め、特に1970年代後期に、シャーの支配は独裁の色合いを強めた。シャーは米英の強い支持を受けてイラン産業の近代化を推し進める(白色革命)一方で、市民の自由を抑圧した。シャーの独裁的統治は1979年のイラン・イスラーム革命につながり、新たにアーヤトッラー・ホメイニーのもとイスラーム共和国が樹立された。

新たなイスラーム政治制度は、先例のない法学者による直接統治のシステムを導入するとともに、伝統的イスラームに基づく社会改革がおこなわれた。これはペレティエ『クルド民族』に拠れば同性愛者を含む性的少数者や非イスラーム教徒への迫害を含むものだった。また打倒したシャーへの支持に対する反感により対外的には反欧米的姿勢を持ち、特に対アメリカ関係では、1979年のアメリカ大使館人質事件、革命の輸出政策、ヒズボッラー(ヒズボラ)、ハマースなどのイスラエルの打倒を目ざす武装組織への支援によって、非常に緊張したものとなった。1980年には隣国イラクの侵攻によってイラン・イラク戦争が勃発、この破壊的な戦争は1988年まで続いた。国政上の改革派と保守派の争いは、選挙を通じて今日まで続くものである。保守派候補マフムード・アフマディーネジャードが勝利した2005年の大統領選挙でもこの点が欧米メディアに注目された。

元記事

アレックス・ジョーンズがラジオで、息子を学校を休ませて、アメリカ憲法と権利章典を教えるって言ってました。だから、アレックス・ジョーンズはペイトリアット(愛国者)なんです。
引用した最後のパラグラフ、そんな感覚でしょう。

私は、日本語の「愛国者」というのは大嫌いですが、アレックス・ジョーンズのラジオを数ヶ月聞き続けて、ペイトリアットは少しは理解できるようになりました。
そのアメリカを「彼ら」は解体しようとしている……


posted by 狭依彦 at 22:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 国際中東 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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