真夜中に目覚めて、金縛りにあい、助けを求めるのに声も出せないとしたら、それは睡眠マヒにかかったのだ。この異様なマヒの最中に、誰か、もしくは、何かが自分を見ているような気が突然してきたら、Intruderと名づけられている覚醒幻影と向き合っているのだ。
そして、これらがすべて起こってから、小人や夜の妖精に似ている霊的存在があなたに這い寄って来て、甘いたわごとをあなたの耳にささやくのなら、おめでとう、あなたはIncubus(死霊の悪夢)を知ることになった幸運な者たちの一人になったわけだ。
そして、それは、あなただけではない……
元記事
succubus【名】女の夢魔、女怪、悪霊、売春婦 の複数形がSuccubiだそうです。発音不明。
この写真、私の持っている「竜の女」(私の中ではレプ)のイメージに近いです。
この写真は女の真の姿だと思いますが、この女、見方によっては「すごくきれい」に見えるのだと思います。
また、霊界物語に出てくる「金毛九尾」(私の中では別種のレプ)もこんな感じかな……
【神秘・その他の最新記事】
将門と安倍晴明(平将国?)がじつは親子ではないか?という説に興味を持ちました。
http://blog.goo.ne.jp/shuban258/e/a1b3123b408aa479fbf9752a9fb18088
晴明じたいの生い立ちは基本謎が多いみたいですが、じつは母親が妖狐だったという話もあるようです。
もし2人が親子だったとしたら、
晴明の陰陽師の能力と言う部分にしても、有名な将門のさらし首にまつわる話も
晴明が父の無念を晴らすために秘かに術を施していたという想像もしてしまいます。
http://fleshwords.web.fc2.com/dt/dt067.htm
ただ、陰陽師としての活躍が世に知れ渡るようになったのは40歳以降という記述もあるようですし
将門がさらし首にされたのは晴明がまだ20歳そこそこな頃なので、もし父にそういう術を施そうとしたとしてもその頃陰陽師としてそこまで出来たかという疑問もありますが、
母親が妖狐だったと説く記述ではすでに子供の頃その母親から霊力を授けられていて、父(育ての父?)安倍保名が殺された際にはバラバラにされた父の死体を集め、甦りの呪法で生き返らせた(一時的に?)とも。
https://plaza.rakuten.co.jp/onmyojikobako/2004/
その頃の晴明が何歳くらいの頃だったのかはわかりませんが、
もし20歳くらいの時に甦りの呪法が少なからず使えたとしたら、将門のさらし首の記述も晴明が?と考えてもしまいます。
今日までに至る首塚に関する祟りとも思われる出来事も、晴明が結界を張ったからと説明する人もいるようです
http://blog.livedoor.jp/morimori088/archives/1693622.html
例えば、「霊界物語」あたりには将門や晴明がでてくる部分ってありますか?
阿倍倉梯麻呂から安倍貞任の流れですね。
倉梯麻呂は全国の安倍氏(阿部、安部などすべての『アベ』氏)の太祖となっていますから、範囲が非常に広いとは思われますが・・・・
平将門はあまり調べたことはありませんが、蝦夷、縄文(蝦夷と縄文はどのくらい繋がっているかは分かりませんが)のニオイがしますね。
首相の安倍さんは、母親の岸(佐藤)系統の流れでしか考えてこなかったのですが、父系統の流れも大きいのかも知れませんね。
さて、霊界物語と将門、晴明ですが、直接は出てこないように思います。
間接的に出ているなら、ちょっと分からないです。
そういえば、晴明って安倍首相の血縁関係みたいですね。
イメージ的に、全然印象はちがいますが。
とにかく、あの首相の発音というかしゃべり方というか
わざとあんなしゃべり方してるのかと思ってしまうほど
正直何言ってるかわからない時が^^;
前にも書きましたが、安倍首相については母親系統の「佐藤」の血筋だけ−長州、天皇−を考えていましたが、父親系統の方も今の立場に関係あるのでしょうか?
歴史物語では安倍はエミシ系統ですから、面白いことは面白いです。
ちなみに、安倍家は縄文映画『ライアの祈り』を支援していて、母親が映画の題字を描いています。
この映画は縄文映画なので好きなのですが、そこはが「イヤ」です。
また、映画の製作が川阪実由貴という、政界のドンの娘です。
縄文系が「どこかで活動」しているとは、陰謀論者としては思えませんが・・・・
どうしても関わらなくてはいけないものがでてくるでしょうからね。
僕も、うずまきの縄文土器に宇宙創成のヒントを得ていた
「神様のパズル」という映画が好きです。
ところでその「ライアの祈り」という作品のことを調べてたら、こんな意見もありました
http://www.targma.jp/yanashita/?p=3986
特にこの部分、ほんとでしょうか?
『食糧が乏しく、平均寿命が短くて人口が少なかったからである。縄文時代、日本の人口は最大で26万人程度とされている。高い幼児死亡率のため、平均寿命は十五歳。幼年期を生き延びてもせいぜい三十歳ほどまでしか生きられなかった。まあそれでも飽食の時代には失われた真実がそこにはある、と信じたいならそれでもいいんですけどね。クマゴロウ、もうちょっと歴史に誠実になるべき。』
もしそうだとしても、あくまでも縄文時代の「一部分」と言う気もしますが。
一万年も前のことなので色々断言は出来ませんが、
縄文土器・土偶を見ただけでも飽食とくらべる次元ではないような。
それこそ、沖縄の海底遺跡あたり(ムー伝説?)の影響みたいなものは
縄文時代には全然残ってなかったんですかね?
季節的に植物質、動物質、魚介類を摂取していて、古墳時代以降の「乏しい」とは違っていたと考えます。
「豊富」ではないが、「乏しい」こともなかったと思います。
>平均寿命が短くて人口が少なかったからである。
平均寿命は幼児死亡率を入れると短かったのですが、生き延びた人たちはここに書かれているより長生きしたという説もあります。
>人口については、狩猟採集を基本としていたのだから、26万人くらいが適切であった。
このように私は考えます。
超古代に繁栄した文明の影響は「正当な」考古学からすると残っていなかったと考えるのが妥当のような気がします。
しかし、縄文のビーナスの縄文中期の長野・山梨とか。土器・土偶を見ていると、なんか、超古代なのか、シュメールなのかユダヤなのか分かりませんが、繋がりがあるように感じます。
http://www.asahi-net.or.jp/~xb6t-kjm/second/second-1-3.htm
>しかし、縄文のビーナスの縄文中期の長野・山梨とか。土器・土偶を見ていると、なんか、超古代なのか、シュメールなのかユダヤなのか分かりませんが、繋がりがあるように感じます。
日本も、案外県によって色々ちがったのかなぁ。
そういえば、霊界物語に「黄泉の島」というものがあるみたいですが、これは古代文明とはちがうものなのでしょうか?
縄文は1万年も続き、地域差があります。
でも、ひとくくりにできる共通部分はあったようです。