自分で思うに、
(1)大本三派の信者ではない(これは事実)
(2)出口王仁三郎のファンである
(3)一般的な大本の考え方とは違う、興味の方向も違う(だろうと思う)
(4)大本裏神業系の考え方ではない(と自分では思っているのだけど、でも、近いように見えるかも知れない)
(5)中矢氏の日月神示関係・大本関係の本は違うと思っている
よって、大変動(立替え立直し)は来るとも、来ないとも、どちらも確信はない。
(6)大きな意味での陰謀論者である
まあ、出口王仁三郎のファンがサイトを作り出して、いろいろやっているうちに、陰謀論と出会い、よくわかならいまま、確信もないまま、Blogでいろいろ書き飛ばしている、というところでしょうか。
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狭依彦さん自身としては、生前の王仁三郎さんに逢ったり接してみたかったという思いはありますか?
例えば、僕はアイクのことは少なからず尊敬していますが、彼の場合 今生きてるじゃないですか。アイクが同じ時代を生きてる中で、彼の言葉をここや太田さんのところなどでインターネットで伝えてもらえたり、彼の本を読んだり、それこそ会話とかはできなかったけど アイクの講演会で本人に逢えて同じ場所で同じ時間を過ごした経験もできたりと・・・(しかも、あの時は大幅に時間を延長してくれて...(^_^;)。
狭依彦さんは、王仁三郎さんが自分が生きてる間にいてほしかったとか、
これからの未来を 彼ならどう生きてゆくかを見てみたかったとか思うことってありますか・・・?
私が王仁三郎に出会ったのは20代の若い多感な時で、人生の曲がり角だったと思います。
それも、「神様」になる前の王仁三郎がひどく好きになりました。
だから、「神様」としての王仁三郎にはあまり会いたくないんですよね。
なるほど、「神様になる前の王仁三郎さん」ですか。
狭依彦さんにとっては、「神様としての王仁三郎さん」とはちがうのですね・・・。
太田さんの「巫女(シャーマン)統治」だった頃の日本の説明にとっても興味を持ちました。
それで太田さんのところのHPなどを調べていたら、ふと王仁三郎さんと「スサノオ」のことが載っていたのを見つけたのですが、
もしかしたら狭依彦さんが以前ここで教えてくれた「神様になる前の王仁三郎」と「神様としての王仁三郎」って、スサノオと関係あるのかなぁとも思いました。
もし この話が狭依彦さんにとって嫌な気持ちになるものでなければ、よろしかったら狭依彦さんの考え方を教えてください。
大本教学はちょっと弱いので、何ですが、王仁三郎=スサノオ(素戔嗚)と言ってよいと思います。
それに対する天照はというと、天照皇大御神と天照大御神があり、天照皇大御神は宇宙の唯一の原因神であり、天照大御神は素戔嗚よりもずっと神格が下ということになっていると思います。
天照皇大御神=天御中主神=素戔嗚となると思います(たぶん)。
昔からある大本本部ではこれと違う解釈かも知れません。
よって、記紀の素戔嗚と霊界物語の素戔嗚とは全く神格が違う神だと思ってよいでしょう。
素戔嗚は罪をすべてかぶり、贖いによって人々を救ってくれる神様なのです。
面白いことに大本教でも王仁三郎が救世主と言う人は結構割合が少ないと思われるのです。
大本教はざっと3つに分かれていて、大、小、極小の組織だと思うのですが、この大のところではあまり王仁三郎を重要視していないと思われます。
それに対して、小+極小の組織が分かれたと思うのだけれど、こちらは(たぶん)王仁三郎を救世主としていると思います。
ああ難しい。
ところが、私は王仁三郎を救世主とは信じていないので話がややっこしくなってきます。
これはたぶん、私が「第二次世界大戦前と第二次世界大戦後で支配者は同じ」と考えていて、第二次大戦が救世主が関係しているとは思えないからです。
王仁三郎は第二次世界大戦後ちょっとして亡くなっていますが、王仁三郎の予言も、霊界物語の予言も今分かっているところでは、第二次世界大戦を中心としているからです。
王仁三郎を神だと言う人は「生きているときに仕組みをしていて、肉体は消えても霊界で働いている」と言います。
そう言えば、原爆の話で霊界物語の掲示板に「裏神業」というのは大本教の人たちとは違うのですが、ちょうど一つの考え方が出ています。
http://bbs.minato.tokyo.jp/cgi-bin/read.cgi?000000
「裏神業」というペンネームの人です
それに対して、私もちょっと投稿していますが、私の考えは、私の「うろー」サイトにあります。
http://uro.sblog.jp/modules/nmblog/response.php?aid=158
ただ、ここで「裏神業」の人は王仁三郎を神としていますが、たぶん大本三派で王仁三郎を神としている人たちはこれとは正反対であろうと思います。
まあ、『霊界物語』にも、王仁三郎が神であるように書いてありますし……
だだ、私は誰か「救世主」が出てきて世の中を救ってくれるとは思っていません。
アイクの言うように、アレックスジョーンズが言うように人々が「目覚める」ことだけが世の中を救うと思っています。(目覚めるのかな?という思いはありますが)
そして、『霊界物語』の主題も、神様が何かしてくれることよりも、「普通の人が自分で目覚めること」であると思うので、『霊界物語』を読み、心を落ち着かせ、こんな陰謀論紹介の「仕事」(かな?)をやっているわけです。
王仁三郎さんや霊界物語を好きな人達も、とにかくみなさんほんとにそれぞれなのですね・・・。
僕は原爆のことも含めて、狭依彦さんの霊界物語に対する考え方の方が共感できました。
ちなみに狭依彦さんもこの前ご自分の考えを伝えてくれた「十年から主の裁きが始まる」、
その教えていただいた方のそれのスレッドに載っているいくつかの文は、王仁三郎さんが残した言葉なのでしょうか?「光の武具」や「肉の欲」のところに、「キリストを着なさい」とあったところを見ると(聖書?)少なくともちがう部分もあるような気もしたので、もしそうだとしたら 純粋に王仁三郎さんや霊界物語に対しての感想というより、そのスレッドを載せた方への感想になるかもしれませんが、
「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」
「その日、天は激しい音をたてながら消えうせ・・・また、わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい」
「すべてのものは滅び去っても」
「義の宿る新しい天と地とを、神の約束に従って待ち望んでいる」
などのその文章からすると、天国が待っている、もしくは生まれ変わった後の来世は幸せになれると伝えたいのでしょうかね・・・?
現世で悔い改めなかった者の魂や来世は、「地獄」というか もしかすると「なくなる」のでしょうか・・・?
僕は、むしろ「支配者層」というか「レプ達」というか「イルミ」というか...そういった者達を、みんな「どうしたいのか」、「どうなってほしいのか」知りたい気もします・・・。
もちろん、聖書の検索をして、聖書の言葉でもないようですね。
『霊界物語』を読まずして、王仁三郎を語る人が多いのですね。