チリの33名の鉱夫の救出は哀愁とヒロイズムに満ちた並ドラマである。
政府の善行がみなカメラの放列で記録されるので、これはチリ政府にとってはメディアの棚からぼたもちである。
だれもが感銘を受けるだろう。
しかし、すべてのメディアのイベントと同じように、これは表面的なことだ。
鉱夫たちを襲った事故は、チリでは特別なことではない。
事故はピノチェット将軍の独裁政治依頼ほとんど変わっていない非情な経済システムの当然の帰結である。
銅はチリの金であり、鉱山事故の起こる周期は金属価格と利益とに比例している。
チリの私有鉱山では、毎年、平均39件の死亡事故が起こっている。
閉じ込められた人々が働いていたサン・ホセ鉱山は2007年に安全性が大変悪くなり、一時的に閉鎖されるべきであった。
7月30日に、労働省の報告では、再び「重大な安全性の欠如」が警告されていたが、担当大臣は何もしなかった。その六日後に、男たちは埋められてしまったのだ。
レスキュー現場の報道合戦にかかわらず、現在のチリは語られない国である。
首都サンチアゴの郊外にあるVilla Grimaldiには、次のような看板がある−「忘れられた過去は記憶に満ちている」
ここは、かって、ピノチェット将軍とそのビジネス仲間がチリにもたらしたファシズムに反対した何百人もの人たちが殺され消された拷問センターであった。
センターの幽霊のような存在は、アンデスの山々の美しさの向こうに見える。そして、ゲートを開錠する男はかって近くに住んでいて、人々の叫びを記憶している。
元記事
【国際中南米の最新記事】
http://blogs.yahoo.co.jp/yti4shige/22590431.html
南米のチリみたいで。
でもその写真じたいよく出回っているというのも不思議な気もしますし、頭蓋骨のところにいる人のスコップがわかりずらかったり(^_^;)・・・
正直、僕も「どうなの?」と感じるところがありました。