2010年10月25日 Tweet It!

アラビア海に空母集結

イランとの戦争準備?アラビア海:西欧の21世紀の戦争の中心

武器取引の途方もない拡大とアラビア海地域での海軍・空軍の軍備増強は前例のないことだ。
また、最高度の警戒態勢が敷かれている。
近日中に、アラビア海には世界の原子力空母の4分の1が集まることになる。

ニミッツ級のアメリカの原子力空母エイブラハム・リンカーンが10月17日に同海域に到着して、6月18日に通常勤務についていたハリー・S・トルーマン攻撃グループに参加した。

アメリカ以外で唯一の原子力空母であるフランス唯一の空母シャルル・ドゴールも間もなく仲間入りする予定だ。
アメリカは世界の22隻の空母のうち半分をしめており、すべてが7万トン以上のスーパー空母である。また、12隻のうち11隻が原子力空母である。

アメリカとNATOの同盟である西欧はアジアからアフリカ中東にわたる地域一体で軍事作戦をエスカレートしている。
作戦の戦域は、最近、南アジアからアラビア半島にまで拡がった。パキスタンでのドローン(無人飛行機)やヘリコプターにようる攻撃、イエメンでの空爆、巡航ミサイルによる攻撃である。

今世紀初めに開始された戦争は10年目を迎え、永久戦争となる兆しが充分にある。

図はイランを取り囲む米軍基地

u-m-surroundiran.jpg

元記事

なかなか、艦艇の名前が面白いですね。
ここに、ウインストン・チャーチルでも加われば最高!

ドイツがいないみたいですが、ドイツはイスラエルに潜水艦をプレゼント(?)していて、それが2隻「活動」しているはずです。
posted by 狭依彦 at 22:43 | Comment(10) | TrackBack(0) | 国際中東 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「ジョージ・W・ブッシュ」や「バラク・フセイン・オバマ・Jr」では、頼りなくて使えなかったりして・・・(^_^;)

いつの時代も必ずどこかの国では起こっていたことを考えれば、むしろこれまで「戦争」が絶えなかった歴史もなかったかもしれませんが、それにしてもこれまでのアジャンダや軍事力の流れできて改めて「永久戦争」と言われると、ほんとにいやな響きに聞こえますね・・・。
イランを取り囲んでいるアメリカを先頭とする軍事を、さらにその外から中国などが囲んでいくとしたら、さらに規模が大きくなって拡大拡大…。
そんな世界的な戦争が、これから永久に行われるのでしょうか・・・。

「モントーク計画」に参加させられていた過去を持つと訴えるスチュワート・A・スワードロー氏の本に、
意識エネルギーそのもののような「透明人」(そのエネルギーの振動周波数が高すぎて、物質次元には姿を現すことができない?)とテレパシーで交信したことがあったという話があったのですが、
その透明人に「もはや人間が存在しなくなった遠い未来から来たこと」や、
そして透明人とは別の非物質的存在の集団であるオハル評議会の創造物である「シリウス人」の協力を得て、「レプティリアン」は作られたということを伝えられたことが書いてありました。レプに関しては、『人間(この我々地球人類のみならず、物質世界に囚われた様々な異星人達も?)をテストするために「敵対させた」存在である』とも・・・。

アイクがよく言うように、例えどんなに生まれついて洗脳された者が(レプのような存在にとり憑かれてる者が?)政治家をしていたり、
もしかしたら命令どおりにしか動かないようなマインドコントロールされた者しか軍にはいないとしても、
そんな者たちや、さらに圧倒的に多いそれ以外の我々も、もし「テストされている」としたらいったい人間は何をテストされているのでしょう?
そして、「もはや人間がいなくなった遠い未来」とは、いったい何を意味しているのでしょう・・・。

「霊界物語」あたりでは、この現在以降の人間や地球などの未来に関しては何か伝えていますか・・・?

Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年10月26日 12:08
霊界物語のという書名からいくと未来の予言があるように思われるのですが、フツーに読むとそれほど82巻の大著のわりに予言ぽいところは多くはありません。

しかし、私の読み方が一般の人と比べて特殊なのですが、霊界物語の物語の場所で、コーカサス、イラン、アフガン、パキスタンあたりが出てくるので、そこらあたりに将来の展望が書かれていると思い、読み込んでいる最中です。

フツーは、上の地名は日本に対比させて考えることになっています……
Posted by 狭依彦 at 2010年10月26日 23:52
例えば、次の場面、普通に読むとつまらないもの、もしくは王仁三郎はありがたい方なのですが、陰謀論的な観点から読むと、それとは違うシーンが現れます。

霊界物語1巻の最初の方
王仁三郎=三葉殿が、世界を救うための実習として地獄を探検させれられている場面。

 一歩々々辛うじて前進すると、広大な池があつた。池の中には全部いやらしい毛虫がウザウザしてをる。その中に混つて馬の首を四ツ合せたやうな顔をした蛇体で角が生えたものが、舌をペロペロ吐き出してをる。
この広い池には、細い細い氷の橋が一筋長く向ふ側へ渡してあるばかりである。後から「松」「中」「畑」といふ鬼が十字形の尖つた槍をもつて突きにくるので、前へすすむより仕方はない。
十人が十人ながら、池へすべり落て毛虫に刺され、どれもこれも全身腫あがつて、痛さと寒さに苦悶の声をしぼり、虫の鳴くやうに呻つてをる状態は、ほとんど瀕死の病人同様である。
その上、怪蛇が一人々々カブツとくはへては吐きだし、骨も肉も搾つたやうにいぢめてをる。
自分もこの橋を渡らねばならぬ。自分は幸に首尾よく渡りうるも、連の人々はどうするであらうかと心配でならぬ。
躊躇逡巡進みかねたるところへ、「三葉殿」と頭の上から優しい女の声が聞えて、たちまち一本の大幣が前に降つてきた。手早く手にとつて、思はず「祓戸大神祓ひたまへ清めたまへ」と唱へた。
広い池はたちまち平原と化し、鬼も怪蛇も姿を消してしまつた。数万人の老若男女の幽体はたちまち蘇生したやうに元気な顔をして、一斉に「三ツ葉様」と叫んだ。その声は、天地も崩れんばかりであつた。
各人の産土の神は綺羅星のごとくに出現したまひ、自分の氏子々々を引連れ、歓び勇んで帰つて行かれる有難さ。
 自分は比礼の神器を舟木に渡して、困つてをつたところへ、金勝要神より、大幣をたまはつたので、f百万の援軍を得たる心地して、名も知れぬ平原をただ一人またもや進んで行く。
 一つの巨大な洋館が、儼然として高く雲表にそびえ立つてをる。門口には厳めしき冥官が鏡のやうな眼を見張つて、前後左右に首をめぐらし監視してをる。
部下の冥卒が数限りもなく現はれ、各自に亡人を酷遇するその光景は筆紙につくされない惨酷さである。自分は大幣を振りながら、館内へ歩をすすめた。冥官も、冥卒もただ黙して自分の通行するのを知らぬふうをしてゐる。「キヤツキヤツ」と叫ぶ声にふりかへると、沢山の婦女子が口から血を吐いたり、槍で腹部を突き刺されたり、赤児の群に全身の血を吸はれたり、毒蛇に首を捲かれたりして、悲鳴をあげ七転八倒してゐた。
冥卒が竹槍の穂で、頭といはず、腹といはず、身体処かまはず突きさす恐ろしさ、血は流れて滝となり、異臭を放ち、惨状目もあてられぬ光景である。
またもや大幣を左右左に二三回振りまはした。今までのすさまじき幕はとざされ、婦女子の多勢が自分の脚下に涙を流して集まりきたり、中には身体に口をつけ「三ツ葉様、有難う、辱なう」と、異口同音に嬉し泣きに泣いてをる。
一天たちまち明光現はれ、各人の産土神は氏子を伴なひ、合掌しながら、光とともにどこともなく帰らせたまうた。天の一方には歓喜にみちた声が聞える。声は次第に遠ざかつて終には風の音のみ耳へ浸みこむ。

そのキーワードは明日書きましょう。
Posted by 狭依彦 at 2010年10月27日 00:05
ありがとうございます。

「穢れ」のことを伝えているのでしょうかね・・・?
王仁三郎さんにとってのその「大幣」の禊祓とはなんだったのか(どんな方法や悟りだったのか?)、とても気になります。 
Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年10月27日 12:03
「大幣」はルビはオオヌサで、神主さんが体の前で、ゆさゆさとふるあれですね。
比礼の神器を舟木に渡して、困つてをつたところへ、金勝要神より、大幣をたまはつたので、
比礼もたとえば蜂のヒレであれば、蜂から身を守ってくれるものです。ここでは、大幣は身を守ってくれるものと、清め、人々を救うものではないかと思っています。

ところで、このシーンでは、地獄とそれを救う神様の話が頭に入りますね。
地獄のところは日本の地獄絵を想像しませんか?

最初に読むとそうだと思います。

私は何度か読むうちに、次のセンテンスが気になりました。
一つの巨大な洋館が、儼然として高く雲表にそびえ立つてをる。門口には厳めしき冥官が鏡のやうな眼を見張つて、前後左右に首をめぐらし監視してをる。

地獄にある巨大な洋館。ここの冥官とは、よく考えると軍服を着ていると思えませんか?
その館内で残虐行為が行われているのです。
血の池の中ではないのです。

あともう一つ、
馬の首を四ツ合せたやうな顔をした蛇体で角が生えたもの
これは、地獄絵にあるのでしょうか?
首4つというところで、私は、聖書のエゼキエル書の冒頭のUFOを見るところの「おのおの四つの顔あり。おのおの四つの翼あり。」を想像してしまいます。
考えすぎでしょうが……

このように、霊界物語は、なかなか一筋縄ではとらえきれないと思っています。
そして、このように捉えられるのは、霊界物語の『研究者』の中でも、私が最右翼であると、自分では思っています。まあ、このように捉える読者がほとんどないのでしょうが……
Posted by 狭依彦 at 2010年10月28日 00:30
>馬の首を四ツ合せたやうな顔をした蛇体で角が生えたもの
地獄絵、もしくは日本の言い伝えなどでいうとなんでしょうね?
エゼキエル書的にはケルビムのことを言ってると思うのですが、旧約聖書に同じような神の戦車メルカバーもあるとか。
メルカバーは十字架が指す四方向が東西南北の四神を示しているとも聞きますが、日本や東洋に伝わる白虎などの「四神」の方は地獄の存在という印象はないような気がしますし・・・。
聖書の方に関しては地球規模になってしまうかもしれませんが、
例えば「水瓶座」「蠍座(鷲座とも呼ばれている?)」「獅子座」「牡牛座」、これらの星座をもし「水瓶を持つ人間」「鷲」「獅子」「牛」(スフィンクス?)と例えると、グランドクロスのホロスコープに現れる4つの星宮も、十字架を形成すると同時にメルカバーになるとか。
ヨハネの黙示録的に(「4人の天使は、人間の1/3を殺すために解き放たれた。この天使たちはこの年、この月、この日の為に用意されていた」)ケルビムやメルカバーをもし殺戮の天使(軍人、軍事力?)と例えるなら、グランドクロスに磔にされた地球で、人類の処刑が行われるという意味にも受け止められるでしょうか・・・?

もし『宿命』さえ変えられる「大幣」があるのなら、
もしかしたら それは清められる(?)『運命』をあきらめない我々1人1人の心や魂(霊も?)なのでしょうかね・・・。
Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年10月28日 12:24
>『宿命』さえ変えられる「大幣」がある

私は、その存在には懐疑的です?
だれかが、スーパーな救いをやってくれるよりか、やはり、人々の目覚めだけが、「清める」道だと思っています。

じゃ、この霊界物語の大幣は何かということですが、よく分からなくなりましね。
Posted by 狭依彦 at 2010年10月28日 23:16
>だれかが、スーパーな救いをやってくれるよりか、やはり、人々の目覚めだけが、「清める」道だと思っています。

じゃ、この霊界物語の大幣は何かということですが、よく分からなくなりましね


僕は王仁三郎さんのことは詳しくはわかりませんが、でも やはり我々とはちがう能力などをほんとうに持っていたとしたら、むしろ彼は孤独(孤高?)な人だったような気もします・・・。

そういう流れで考えると、例えば昔々の人達、、日本でいえば縄文時代やそれ以前(?)の時代、アイク的にいえば「一者の法則」の時代には、人々はテレパシーなどの能力を持っていたり、それこそ霊などとチャネリングのようなこともできる人も決して少なくなかっんじゃないかと思うこともあります。
でも いつしかそういった能力をレプ達のような何世紀も我々を支配しようとしてきた支配者層に強制的に奪われたか、
もしくは そうされることで逆にもしかしたら「あたりまえすぎてわからない」大切な何かを悟りたいがために支配者層をあえて「呼んだ」というふうに考えることもあります・・・。
ただ強制的に奪われてきたということが事実だったとしたら、希望もなにもないことになるかもしれませんが、
いずれにせよ、少なくとも支配者層があらゆることを「独占」したくて我々から何もかも奪い続けてきたとしたら、それをやめさせるために「大幣」のようなものを持つことはむしろ「逆効果」でしょうかね・・・?

少なくとも、「霊界物語」の受け止め方はほんとうに人それぞれかもしれませんが、でも我々はテレパシーやチャネリングを持ってない(もともとにせよ、持っていたのに失くしたにせよ)からこそ、霊界物語などを読んで学びたい、理解したいことがあるのかもしれません・・・。
Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年10月29日 12:08
「テレパシーなどの能力を持っていたり、それこそ霊などとチャネリングのようなこともできる人も決して少なくなかっんじゃないかと思うこともあります」

そういった能力を失うことで、逆にもしかしたら「あたりまえすぎてわからない」大切な何かを悟りたかったのでは?...と考えたら、
むしろそれができていた人が少なくなかったどころか、「みんながテレパシーやチャネリングなどができていた」かもしれません。
Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年10月29日 12:54
>この霊界物語の大幣は何か

ほとんどの霊界物語の読者はこれは、人々を清め救うものだと取ると思います。

私も、そうとっていますが、霊界物語の2000何章の10章に出てきているものですから、「人類を救い清める」などという大きな意味は持たないものだと思っています。
その場面を何とかするもの。
神様が地獄探検をさせているのだから、困ったときの助けになるものが必要だろうから、そんなものと考えています。

でも、しつこいようですが、ほとんどの人が、そのような限定的のものであるとは取らず、「人々を救い清めるもの」ととるだろうと思います。
Posted by 狭依彦 at 2010年10月29日 19:31
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