EU委員会の非公開文書で確認されているが、クローン動物の子孫からできた食べ物が既に、ヨーロッパの市場に出回っているという。
これらの動物はアメリカからの育種材料の輸入を通して市場に入っている。
EU委員会の主張では、これらの製品は将来にわたっても、規制、表示義務、予測できないリスクに対してのコントロールなどがなされるべきでは"ない"という。その理由は、現在のところアメリカなどの輸出国で動物を登録するシステムが確立されていないからだという。
EU委員会の言うとおりとなれば、消費者のクローン動物による食物への拒否は大きいにもかかわらず、EU圏の消費者は牛乳、肉などの製品について何も情報を得られないことになるだろう。
「倫理観からの懸念によって広く拒否されている製品は消費者が"かた"をつけるべきであろう。EUのコミッショナーのDe Guchtは一戦も交えることなく農業産業のロビーストに負けている。このクローンという広く問題提起されている技術によって利益を得るのはほんの一握りの企業だけであるということから、このコミッショナーの態度は驚くべきものである」とドイツのTestbiotechの前研究員Christophは語る。
元記事
問題は、この一握りの企業が何で、それらが「利益のため」だけにやっているかどうかですね。
特に日本では、そのことを解説してくれるオーソリティはほとんどいない、ということでしょうか……
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最近思うんですが、ほんとうにそこから解放されるためには「食べる」ということはどうなのでしょう・・・?
もしかしたら、食べなければ死ぬという思い込みによって毎日食べ続けることに執着してしまうことこそ、「支配されたがってる」可能性はないのでしょうか・・・?
例えば肉食を否定して野菜や果物主食の食生活を訴える人もいますが、
自分から見れば野生の生物達は逃げることも叫ぶこともできない「生きている」草木を食べることより、逃げる草食動物達を必死で狩らなければならない肉食の動物達の方がたいへんじゃないかと思うこともあります。
「家畜」という点にしても、ブタや牛や鳥などがいけないなら
「同じく生きている」はずの野菜や米だって、
人間に食べられるために生まれ人間に食べられるために生き人間に食べられるために殺されているはず。逃げることも悲鳴を上げることも出来ずに・・・。
それとも、野菜や米は人間に食べられるのは当然であり、むしろそれを喜んでいるとでもいうのでしょうか?
生きている花も、手向けとしてまるで生贄のように亡くなった人に捧げられることもありますが・・・。
だからといって、僕も「食べない生き方」をまだ見つけることはできません。
心・技・体の一体感という意味でいえば、肉体をおろそかにすることもまたどうなのだろう?とは思いますし。
難しいですね・・・。
いつかどの記事かのコメントで、狭依彦さんの名前のような「仙人」は「水だけで生きている」とコメントしてくれた記憶があったのですが、「霊界物語」あたりにはそんな食べることを克服した(?)仙人のお話ってありますか?
「霊界物語」では、みんな何かは食べているような気がしますが、動物を殺して食べては「いない」ようです。
霊界物語からは離れますが、最近縄文を勉強していますが、装飾バンバンの火焔式土器とか、土偶を付けた土器などでも煮炊きをしているのですね。
その煮炊きをしたものを食べるのが、神聖なお祭りみたいなものらしいです。
私が好きな話が、遺跡で縄文パンが炭化したのが見つかって、大人サイズと子供サイズがあって、子供サイズには楽しいようにひねりが入れてあったという話です。
きっと、食べることを楽しんでいたのだと思いますね。
それ、もし食べるパンのことだとしたらパンって日本でも結構古くからあったんですね。
てっきり弥生時代あたりからかと思ってました。
たぶん植物の種(木の実)の中身を粉にしたものを焼いたものです。
縄文クッキーとも言われます。
弥生はどんなものを食べていたのでしょうか。米作っていたでしょうが、一般庶民の口に入ったのでしょうか?
縄文は真剣に勉強しているつもりですが、弥生は全くで、分かりません・・・・・・
きっと森林をむやみに殺すことはなかったでしょうね(^^)
僕も少し調べたら、パンというより「クッキー」ということがわかって。
もしパンだったらと思って調べた時は、あくまでも一般的にみたいですが日本での小麦の栽培が始まったとされているのは弥生時代で、その後小麦粉を練った生地で作る「蒸餅」「焼餅」という食べ方は中国から伝わり、生地を発酵させた西洋風パンが伝わったのは信長の時代あたりにイエスズ会が持ち込んだとも。
縄文時代に関してはほんとうに人それぞれ思い入れがあると思いますが、
個人的には縄文の頃からいたかもしれないと言われる今は恐山でしか逢えない「イタコ」さん達って、縄文時代のイタコさんの霊などとチャネリングできるとしたらほんとうは縄文土器同様
縄文の歴史を伝えられる存在なのでは?とも思っています。
小麦というのは、いわゆる「神」(宇宙人)が人間に与えたもの(農耕)でしょうから、弥生時代に「階級」と共に日本に入ってきたのですかね?
もう一つ、神(宇宙人)が与えたものとして、犬があると思いますが、それは縄文時代もしっかり人間の友達だったのですね。
かもしれませんね。いずれにせよ日本って我々が思ってる以上に色んなものが色んな国から来たと思いますが、弥生時代に人口が増えすぎたのか縄文時代の日本にいた人達と弥生時代に日本にいた人達では、その受け止め方というか取り入れ方がちがっていたのかも。
そういえば岡本太郎さんあたりは縄文人は狩りをしていたことをよくテーマにしていた記憶がありますが、一般的にいわれる「犬」って狼の種から家畜化されたとも聞きますが、でも縄文時代にいた犬のすべてが家畜だったとは限らないかもしれませんね。これなんか特に家畜という印象はなく、なんか個人的に和みます♪
http://articleimage.nicoblomaga.jp/image/48/2012/f/5/f5c91f43aa1bb09b19533fd2d8ba856d8aa7f3ed1351944355.jpg
稲作を行っていた弥生人は縄文人とちがって犬のお墓はつくらなかったという説もあるようですね。
そういえばあるブログのコメントに冗談で「犬が縄文人に狩猟や農耕させてたんじゃね」なんてコメントもあったんですが(笑)、縄文人のすべてが狩猟や農耕をしていたかはわかりませんが、でも土器などを見ても縄文時代って我々の発想を超えていた時代だった可能性はある気がしています。ゆえに、人は縄文土器などを見てそれぞれに色んな想像をするのかなと。