元記事
人間型レプティリアンは神話、小説特にSF、周辺理論、陰謀論などで繰り返し現れるテーマである。
人間型レプティリアンは知性のある個々人または種族、もしくは高度に発達した爬虫類のような生き物として描かれる。
人間型レプティリアンは、また、少数の周辺のニューエイジやネオファシスト思想に見られる。特に、有名なのがデーヴィッド・アイクの陰謀論である。
アイクさん
やつらの脳が火薬だったら、帽子を吹き飛ばさないのに。
「Inopedia.com」のたそがれ言葉にようこそ
この記事英語ですが、レプについてコンパクトによくまとめられていると思いますが、アイクさんは怒っているようですね。
イノペディアもしくはインドペディアはWIKIの一種でしょうか?
古代のレプについて
マヤではレプティリアン人種について、しばしば「イグアナ人間」として言及されている。この人種は空から降りてきて、マヤの文明をコントロールして、マヤにビラミッド建設の芸術を教えたが、人間の犠牲も要求した。
ホピでは地下に暮らすレプティリアン人種をShetiもしくはスネーク・ブラザーズとしている。
チェロキーなどのアメリカン・インディアンもレプティリアンに言及していて、彼らの元はアトランティスだとしている。
エイリアン種族が人類をアフリカの鉱山で働かせる奴隷として創造したことに言及している石版を見つけたと、シッチンは主張している。この種族はアヌンナキという。
さてさて、縄文土器に、井戸尻考古館と伊那の創造館にある人面香炉土器というのがあります。
私は、この土器、レプを表しているんじゃないかなと思っていますが、どっちかというと鳥人間かも知れませんね。この画像はドラッグで回転できます。裏を見てください。
画像
この蛙人間の神人交会文深鉢なんかもレプっぽい。
井戸尻の土器の模様を読むビデオもありました。非常に面白い。
ビデオの最初の画像の神像もレプっぽい。
【神秘・その他の最新記事】
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10913510728.html
スチュワード・スワードロー氏や最近のアイクあたりは
レプはレムリアあたりを本拠(?)として、アトランティスにも侵入(?)していったようなことを伝えてた記憶がありますが、もしムーが縄文時代や旧石器時代あたりの日本と関係していたとしたら、そのブログの「追い払う」という考え方もおもしろいかなぁと思いました。
石垣島の海底遺跡など、ムーと縄文がリンクするかも知れませんね。
80年代あたりに書いたと思われる「日本原住民史序説」を読んだ時、その本じたいにはとても感銘を受けました。
でも、その反面後々に太田さんが伝えていた日本の歴史とだいぶちがっていたことにもまた気づきました。
それは最近「縄文日本文明一万五千年史序論」という本を読んでそのきっかけを知ったような気がしたのですが、太田さんはとにかく平成以降に知ったと思われる
山本健造氏の「飛騨高天原」の説に出逢い、それをなにより愛してらっしゃったのかなぁとも感じました。まだちゃんと全部読んでませんが、その2冊を読みくらべてみるとあきらかに受け止め方が変わったと思われる日本の歴史部分は結構あったのですが、その中でも特に気になったのはアテルイの話でした。
例えば「日本原住民史序説」の時、太田さんは蝦夷の人達(アイヌの人達も?)は無階級,無国家,無権力の縄文人的文化の社会を持っていた人達ではなかったのか?と伝えていたと思うのですが(同じツングースあたりから来た騎馬軍団としていても、以前は決して侵略や征服をするわけではない「自衛」の軍団だった?と伝えていたのですが…)、
しかし飛騨高天原の説を取り入れてからは、坂上田村麻呂同様に蝦夷の人達をとことん追い詰めた、
源頼朝と共に文治革命をさせた北条政子(天照大神の甦り??)達こそ、純日本系(飛騨高天原の純直系??)だったのではないか?と伝えていたようです・・・。
僕は縄文というとどうしても縄文土器を連想するのですが、正直 縄文土器には山本健造氏の伝える飛騨高天原の「飛騨王朝」というワクにはとてもおさまりきれない雰囲気というか世界があるような気もしています。
そういう意味では、飛騨王朝は「縄文土器人」というよりは
太田さんが「日本原住民史序説」で伝えていた時の神道系の「天の朝」の存在に似てる気はします。
巫女さんの話はそれはそれで好きですし、
この有名な遮光器土偶
http://sasazuka.blog.ocn.ne.jp/nakano/2007/10/post_2b77.html
に関しても、「宗像教授異考録」というマンガでは
これは盲目の(巫女さんというより)イタコさんの身代りだったのではないか?と伝えていました。
イタコさん自身がふれて確かめて魂を込める必要があったために誇張された
姿形だったのではないか?と。
特に冬の厳しかった東北あたりでは、「常に」訪れてあげることができないところへイタコさんの代りに人々を守ってくれた存在だったのではないかと・・・。
そのマンガではそんな受け止め方をしていますが、でも僕はその土偶ひとつとってもその説に限定するつもりはないです。
遮光器土偶を見ただけでも、ほんとに人それぞれ色んなイメージを持つと思いますし☆
いずれにしても、人それぞれにその人が愛する正義によって
実際に生きてなかった頃の歴史の受け止め方がこうも変わってしまうものなのかなぁと、
太田さんの本を読んで考えさせられました・・・。
狭依彦さんは、「霊界物語」によって影響を受けた日本の歴史の部分ってありますか?
それからも、大本の出現は、押し込められていた縄文時代の神様が出現したと思っていますし、私の霊界物語は縄文です。
30年ほど前に王仁三郎を知って、それから3年ほどは夢中になっていましたが、それから15年ほどはやめていました。
その間に、三内丸山が出てくるのちょっと前の時代ですが、縄文の勉強もしましたし、その後なぜか万葉集の勉強もしました。(興味が一貫していないような気がします)
その後、2003年に突然王仁三郎に回帰したのですが、やっぱり、縄文イメージはずっとあります。
そして、昨年秋三内丸山や大湯ストーンサークルに行ってから、また、2度目の私的縄文ブームになっています。
そうなると、このサイトも少しサボり気味ですが、ぼちぼち続けていきます。
そうなんですか!
>押し込められていた縄文時代の神様
それ、ちょっと興味深いです。
ありがとうございました(^^)
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/145142590.html
ほんとのことかどうかは別として、なんかなにげにスゴいこと書いてあってビックリしました。
全体的にはちょっと宗教観が強そうな感じがしましたが、
王仁三郎さんのことも結構書いてあったようなので
狭依彦さんの考え方と合うかわかりませんがいちおう載せておきます。
高天原は、このリンク先にある地図のちょっと外れ、小アジアだと思いますがどうでしょうか?
また、このリンク先の地図の場所は、霊界物語でも出てくる場所で、よくこのあたりの地図は見ています。