アマゾンの地方の部族のリーダーがブラジルのニュース・ウエブサイトに語ったところでは、木材伐採人が森林の奥に孤立して暮らしている部族の少女を捕らえ、他の部族が暮らしている少し開けた場所まで連れてきて、木にくくりつけ、生きたまま火を放ったという。
彼女は、他のアマゾンの部族を脅して、土地から追い払うためのみせしめとして殺されたという。
少女は約60人の部族であるAwá族の村から迷って出たところを捕らえられたという。この部族は現代の社会とは全く無縁で、少女は初めて白人を見たと思われる。
目撃者の他の部族のリーダーは、白人たちは少女を焼き殺すときに笑い声を出していたという。
この事件は10月から11月に起こり、カトリックのIndigenous Missionary Council (CIMI)によって報告された。
ブラジル政府のインデアン関係部はこの申し立てを調査中であるという。
外部から孤立して暮らしている数部族を保護するための法律があり、企業は森に入ることが禁じられているが、鉄鉱石や価値のある材木に引かれて、鉱山会社、材木会社は森に侵入していて、部族と衝突が起こっている。
2003年から2010年の間にブラジルでは450人の部族民が殺されているという数字もある。
元記事
このようなことは、文明というやつの歴史で何度も起こってきたのでしょうが、私たちのいる時代と同じ時代で起こったというのは何とも・・・・・・
日本の企業が雇った伐採人ではないことを祈ります。
ところで、このようなことが起こると、神様が怒って、人類滅亡、当然ということにならないのでしょうか?
【国際中南米の最新記事】
ちょっと違う話になるかもしれませんが、アイクの「ムーンマトリックス」のコラムで為清勝彦さんがこんなことを書いてました。
また長くなりますが、よかったら参考までに(^^)/
「原初の状態。ぼんやりとした中に根源意識(魂)があった。
特に問題もなかったが、少々退屈だった。
そこで複数に分離すると楽しいかもしれないと気付いた。
そこで魂は分かれ、心(マインド)=物質(ボディ)となった。これは何段階も行われ、いくつもの次元が誕生した。陰と陽の二分割の繰り返しで、二の冪乗的に複雑化する(コンピュータの二進法との類似。易の64掛と64種類のRNAコドン遺伝コードなど)。思うだけで物質を自在に操ることが出来るうつろいやすい次元もあれば、我々がいるこの現実世界のようにとても創造(想像)したものとは思えないほどかっちりした物質世界もある。そうしたプロセスの中で、神(蛇)が『人』という心(マインド)=物質(ボディ)を作った(プログラムした)。神も次元の違う心(マインド)=物質(ボディ)であるが、自らが人として生まれ楽しむためである。男女を分け、性の快楽も作った。神人が一体化すること(食べること、食べられること)も快楽だった(カマキリの交尾のイメージ)。
【ある系統の神々】が、人(となった神)がこの原初の過程を忘れてますます個別化した意識を持つように、人の心(マインド)=物質(ボディ)を改造した。この現実世界にトラップする策謀である(エデンの園で蛇が人に知恵をつけたという話)。
主な遺伝子プログラムの改造内容として、
@老化を早め、短命にして頻繁に生死を繰り返すようにした。
A女に月経を作り、本来は別ものであった性愛と妊娠(生殖)を結び付けた。これにより自ずと人間は増殖し、縄張り争いを続けることになる。その戦闘で人々が恐怖するのが楽しかった(恐怖をエネルギー的な食糧とした)。人間が格闘技や闘牛などを好むのと同じである。『古事記』の黄泉の国の話で、イザナミが『1日1000頭絞め殺す』と言うと、イザナギは『ならば1日1500の産屋を建てよう』と言い返したのはこのことを表してるのかもしれない。
B自らと同じような思考スタイルを埋め込んだ。階層・序列が好きで、特定の思い込みや信仰を固守し、権威に従属して集団を形成する。そうして形成した集団間で大規模な戦闘をするようにしたのである。また、思いこみが激しく、個別意識にとらわれ互いに争うように遺伝子をプログラムした。
C神霊としての蛇を見えないようにするとともに、本能的に蛇を怖がるように人間の遺伝子を組み換えた。神界(妣の国、常世)との接続を切断したのである。クレド・ムトゥワが、爬虫類人は神々と人間の通信の妨害者と言っている通りである。
全体的に考えると、こうすることで水戸黄門的な勧善懲悪(二元論)ストーリーをさらにリアルで複雑でエキサイティングにしたのである。そして人は、自らの本体(魂)である蛇を外側にある存在として誤認識するようになり、畏怖し、崇拝するようになった。これは自分自身を怖がるのであるから深層意識での自己否定(精神病)にもつながる。そして、その宗教(想念パワー)により幽界が形成された。死んでも神(蛇)の世界(常世)に帰ることなく、その幽界(想念が作っているので各宗教ごとに存在する)にとどまるようにしたのである。こうして、何度も生まれ、死んでは現し世(うつしよ)と幽界を往復するというループに陥ることになった。人々が蛇を怖がるため、慈悲深いタイプの神々も悲しいことに身を隠すしかなかった(神が見えなくなった)。
五感の現実世界にとらわれた人間は文明を発達させては自然を破壊し、神々の領域を侵していった。地底(海底)に住む神々は、地球を守るために何度も人間の文明を滅ぼす以外に方法がなかった。
時間の系列のように書いたが、時間は錯覚であるので全て今発生していることになる」
これっていつ頃行われたのでしょうかね?
1万年くらい前ですかね?6000年前、4000年前、最近、縄文ばかりなので、そこのところが気になります。
その文は基本的に為清勝彦さんがアイクや他の方達の本や考え方などを参考にして「私はこのように推理する」と、御自分なりに説明していた世界みたいなので僕にはなんとも言えませんが・・・。
ただその系統の神の話とはちがうかもしれませんが、個人的には為清さんが「蛇」(の神?)と「龍」(の神?)は必ずしも一緒じゃないという表現をしてた部分は気になりました。
「『日本において龍とみなされるものが出現してくるのは、弥生時代後期〔紀元50〜250年頃以降〕のことである。主として近畿地方から岡山県の瀬戸内海沿岸にかけての遺跡から、龍とみなされる足のついた動物を描いた土器片が出土している。もし稲作とともに龍が伝播していたとしたら、弥生時代の開始〔紀元前10世紀〕とともに龍が日本列島に登場してよいはずである。少なくとも初期の稲作をもたらした人々は、龍信仰を持っていなかった。おそらく彼らは龍よりは太陽と鳥を崇拝する長江流域の人々であった可能性がきわめて大きいことを示唆している。龍を描いた土器片の出土している遺跡が瀬戸内海東部から近畿地方に集中していることは、日本における最古の王権が龍が多く出土する岡山平野から奈良盆地にかけての地域で誕生したことと、どこかで深く関わっているとみなされる(安田喜憲<龍の文明・太陽の文明>より)』
これは先述の縄文時代から稲作があったこと、弥生時代に始まった水稲栽培は除々にしか普及しなかったという話と総合すると、なんとなく辻褄が合ってくる。さらに爬虫類人ハイブリッド=王族という理解をした上で読むと非常に興味深い記述が続く。
『龍が登場し、王権が誕生する弥生時代後期は気候悪化期であった。龍と王権はどうやら気候悪化期に勢力を拡大するようである。長江文明で〔北方から南下してきた人々の影響により〕龍と王権が出現した5千年前も、アンデス文明と日本で龍と王権が誕生した紀元後2〜3世紀も気候悪化期だった。蛇はシャーマンや神官ととむすびついたのに対し、龍は王権と深く関わっていた(安田喜憲<龍の文明・太陽の文明>より)』」
弥生がなぜ階層社会になっていったのか?稲作が持つ余剰貯蔵から権力の発生に「龍」が関係していた・・・・・・
というか「神々」は人間に農耕を与えた(麦の種とか)はずなので、そこに「龍」の力が働いていた。
ただし、縄文にも「龍」と思われるのがあるのですね。
たとえば、八ヶ岳縄文の「みづち」紋など、「蛇」とばかりは言えないような気がします。
これは弥生のとは違う種類の爬虫類人(神)ということでしょうか?
とこんなことも考えていますが、結構、アカデミックに縄文は勉強していますよ・・・・・・