2012年01月28日 Tweet It!

イラン核開発の歴史

ロバート・フィスク
いつか来た道

■イランの核開発の経緯

イランの核開発は第二次大戦後のシャー(王様)からはじまる。シャーは核の力を欲しがった。彼は「アメリカやソビエトが核爆弾を持っている」ので自分も核が欲しいと言いさえもしたが、誰も反対を唱える者はなかった。
ヨーロッパ人はこの独裁者シャーの望みをかなえるために飛んできた。ロシアではなくシーメンスがBushehr核施設を建設したのだ。

西欧にとっての災難であり、シーア革命の使途であるホメイニ師が1979年にイランを支配したとき、ホメイニ師はすべての核計画をやめるように命じた。その理由は核計画は「悪魔の仕事である」ということであった
西欧の後押しによってサダム・フセインがイランを攻撃して、西欧が与えた化学物質で作った毒ガスを使い始めたときだけ、ホメイニ師は各施設を再開することを認めた。

このことは歴史の記録から削除されている。

核計画を再び始めたのは黒いターバンをまとったムツラ(宗教的指導者)たちで、頭のいかれたアフマディーネジャードもその仲間だ。
そして、イスラエルはこの恐ろしい武器を破壊して、自国の生存、西欧の生存、民主主義などを守らなければならないのだろう。

西岸地区のパレスチナ人にとっては、イスラエルは残虐な、植民的な占領者である。
しかし、イランの話となると、この植民地権力は、一転、絶滅の危機が迫ったちっぽけで、弱々しい平和国家になってしまう
ネタネヤフの言葉を引用すれば、アフマディーネジャードはヒトラーよりも危険な男になる。
イスラエルは自前で核弾頭を持っている、現在では300発程度になるだろうが、このことは話から消えてしまうのだ

イスラエルは、1992年には首相のネタニヤフが、1996年にはシモン・ペレスが「イランは数年後に核兵器を保有するだろう」と言っており、今度で3回目となる。

元記事

この筆者は有名な中東問題のジャーナリスト、レバノン在住だそうです。
元記事は英国のインディペンデンスという新聞です。
だから、さほど過激な論ではないと思います。
西欧にはこのように語る人がいっぱいいるようです。

日本は?
・・・・・・と考えてくると、イスラエルの属国であるとしか思えませんね!?


posted by 狭依彦 at 00:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 国際中東 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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