2007年01月27日 Tweet It!

人種差別

アイクのニュースレターより

… SMALL MINDS … 小さな心

白人2名、もしくは黒人2名が口論して、お互いに罵倒しあうのなら、それは、ただの口論にすぎない。お互いに、嫌っているのさ。それで、おしまいだ。
ところが、白人と黒人、白人とAsian(黄色人種)、黄色人種と黒人など、相手が別の人種の場合は、前述の隔たりと反感が人種差別になってしまう。そうなることは驚異的なことだ。さらに言えば、黒人とアジア人は双方が口論しない限りは、人種差別主義者には絶対にならないという不文律があるようで、人種差別主義者は常に白人なのだ。人種差別にさえも階級制度があるようだ。

もちろん、どんな肌の色をしていても、どんな信条を持っていても、その人たちの中には、傲慢で、間抜けで、哀れをさそうような人種差別主義者も存在するだろう。しかし、今日では、異なった人種の人々の間の意見の相違が、ほとんどすべて「人種差別」であると決め付けられている。そして、Orwellian political correctness(オーエリアン的な差別用語禁止)と「ニュースピーク(※)」はすべての多様な意見と表現の自由の権利を抑圧するような意図があるのだ。

いったん「人種差別主義者」にされてしまうと、大衆のリンチの対象となる。その「人種差別主義者」は打倒されるべきもの、許しを請うて地面にひれ伏すべきものとなる。その人が全然人種差別主義者でないとしても、the God of Political Correctness(差別用語禁止という神)に対して罪を犯したからだ。大衆はいわゆる「人種差別者のいじめっ子」を非難するが、その大衆は、自分たち非難のターゲットをよってたかっていじめているわけだ。だが、大衆は、自分自身が清潔であると確信して、自分自身ののanal passages(くだらない歌い文句)に酔っ払い、自分達の偽善と矛盾に気が付かないのだ。

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※ニュースピーク(ある辞書より)
新語法
◆【語源】ジョージ・オーウェルの「1984年」から
◆政治家が世論操作のために用いる表現法。異端の思考を封殺する、「自由」、「正義」などという言葉が存在しない言語。
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「自由」、「正義」自体が、世論操作のために用いる表現法ではないだろうか?

(ちょっと一言)上の文章で、色の変わった部分だけが狭依彦の「コメント」です。英語(日本語)と並べているところについては、アイクの原文を正確に伝えようとしたものですが、いまいち自信がないところと、翻訳というなら調べなければならないところをサボったもので、翻訳の一部です。翻訳中の意訳については、もし、まちがっていたとしたら、誤訳ということになります。狭依彦は、訳文中には自分の意見を入れないように努めています。

コメント
アイクのこのような話は聞くべきものだと思います。「清潔」を求める大衆の心を掻き立てること、どこかの国でも、そんなことが大々的に行われていないですか?その行き先は?
posted by 狭依彦 at 12:29 | Comment(6) | TrackBack(0) | アイク関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
善・悪中毒ですね。
差別を意図する言葉を使ったから悪だ。
悪と決まれば、「悪を倒せ」?
何時まで続くのでしょうか。
Posted by KAZE at 2007年01月28日 20:54
たぶん、ず〜っと。でも、安心してください、私の霊感はあまり当てにならない。
Posted by 狭依彦 at 2007年01月28日 22:44
ポッリティカル・コレクトネスについて、ちょっと宣伝(宣教)。王仁三郎の言葉です。と言っても、私は、大本信者ではなく、だだの(自称)王仁三郎研究家ですが。

http://urooni.hustle.ne.jp/kensaku/ibken02.php?CD=710&T1=%C1%B1%B8%C0%C8%FE%BB%EC&T2=%B8%C0%CD%D5&T3=
Posted by 狭依彦 at 2007年01月28日 23:07
日本では可愛いもんじゃないですか差別は?、
28日午後5時頃沖縄北谷町の路上で信号待ちをしていた会社員が青色になり前の車が遅いのでクラクション鳴らしたが、前の車からいきなり3人の黒人と見られる男性に殴られた、男らは現場から逃走、
沖縄では全国ニュースにはならないがコンビニ強盗、傷害、暴行多々です、県警と憲兵隊で軍関係者を捜査している、いつものように米軍高官は謝罪しながら「日本の犯罪件数の割合に比べれば在日米軍は少ない」というでしょうね、これこそ沖縄をばかにした人種差別じゃないのかと、、、。
Posted by chuji at 2007年01月29日 17:57
エスカレーター

人は誰も何らかの上昇ステージにあると望み、そうであると信じている。そのことを対話で表現する状況で、実は怠惰に過ごして、あまり上昇していない現実を覆い隠す為に“自分の仲間の成果で代弁する”すると本人不在の空中戦が一人歩きする。

つまり人々が不本意な生活をして居る現実を恥じてする自虐を、互いに鏡を見るように ぶつけ合う。
いつも努力して仲間と同じである様に装っているのに お前がそうしないのは不愉快である、と。
Posted by まじへん at 2007年01月30日 01:13
そこから抜け出したいと思っていても、きっと、そこをぐるぐる回っているだけ……かも
Posted by 狭依彦 at 2007年01月30日 21:11
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