幅2メートル以下の長い回廊の中で、国境トンネルの先端である地下室の上部の小さな開口部を通して薄暗い明かり漏れている。
モハメッドという名前のパレスチナ人の子供がガザでトンネルに入り、闇の中を数千メートル歩いて、エジプトの出口に向かう。
ガザの子供数十人が、この「死の横断路」−エジプトのラファとパレスチナのラファの国境の間を隔てているトンネル−を何度も通っている。
子供たちは、貧困ゆえ、そうしているのだ。
子供たちは、トンネルが崩壊する危険にもかかわらず、そうしているのだ。
最近、エジプトの情報部はトンネルに下水を流し込んでいる。
このトンネルはガザの人たちが日用必需品を手に入れる道であり、そうしないと、イスラエルの7年間にわたる封鎖によって手に入れることができないわけだ。
地元の推定によると、トンネル商売には一万人位の人たちが関わっているという。
元記事
少年・少女労働についての記事です。
エジプトも国境を開いたり、このようにトンネルに下水を流し込んだり、どうなっているか分かりませんね。
【パレスチナ以色列の最新記事】
ウクライナ問題あたりとくらべると、日本の主流メディアは思ったより中立な伝え方をしていますが、ANNのようなイスラエルの違法な占領を非難するところもあるようです。
ただ、それはあくまで国連と同じ程度の非難の仕方で、
国連も相変わらずイスラエルの犯罪行為を裁きたいようなことを言いますが、決してイスラエルの邪魔はしていない気がします。
そういえば、今回のイスラエルのガザ虐殺は中東系のメディアでさえ、毎日の記事のほとんどに
「ハマスの奇襲攻撃によってイスラエル史上前代未聞の死傷者がでたそのテロに対するイスラエル軍の報復」という感じで、ハマスの残忍なテロがきっかけの攻撃ということを強調して伝えているようです。
でも今回の事件前まで、イスラエルは右派系の強行な司法改革に対して、かなりの数の国民が連日大規模なデモまで起こしてたみたいなんですが、
なぜかタイミングよくそれが収まらざろうえない事態になってしまいました。
とにかく、イスラエルはガザを空爆する際に、例えば北部を空爆する時はパレスチナの民間の人達に対して、犠牲にならないよう南部に避難みたいなビラを配りながら南部も爆撃。
そしてパレスチナの人達が住んでいた家や町を爆撃や地上戦で荒廃させては、あからさまにブルドーザーで緩衝地帯にしてるようです・・・(今まで通り)。
ガザの保健省の発表(イスラエルは信用できないと言ってますが、少なくとも救急隊員の人達と連絡し合ったり等、思ったより詳細に調べているようですが)によると、10月7日以降イスラエルに殺されたパレスチナの人達は15000人を超えてるとか。
民間人だけではなく、「ハマスを何千人と殲滅している」みたいなこともイスラエルは主張してますが、
今回のハマスの奇襲攻撃だって、この記事でもあるように、危険な地下道でも通らないといけない程(その地下でさえ監視出来るテクノロジーがイスラエルにはある気もしますが)パレスチナ人を封鎖をしているイスラエル軍がほんとうに奇襲を許すでしょうか?
さらにイスラエルが空爆したところはほとんどハマスが民間人を盾にしてその地下にいるという情報があったから攻撃したという「主張」を繰り返してますが(それも今まで通り)、占領した病院等で発見したというハマスの地下施設に、選抜されたメディアを同行させた報道も見ましたが、発見した穴、地下道、戦闘員の部屋、早送りでもいいからノーカットで見せてよと思うんですが、編集しまくりの部分部分のシーンばかり・・・。
パレスチナの人達だって空爆から逃れるための地下室を作ってる所もあるかもしれないと思いましたし、狭依彦さんが取り上げてくれていたこの記事のような、パレスチナの子供達を追いつめたり利用したりする国や人間達が作ったトンネルだったのかもしれないしとも思えますし、
バラク元首相も最近、イスラエル軍がガザに駐留していた時代にイスラエルの建設業者によって作らせた軍事施設が地下にあると発言してましたから、それかなとも思えますし。
とにかく、ネタニヤフはあからさまにパレスチナの民間人をシナイ半島に移住させたいとか、他の国々が移民としてパレスチナ人を受け入れる支援をするべきだとか言ってたんですが、
結局ガザもイスラエルにしてしまいたいのでしょうかね・・・。
イスラエルからは、10倍から100倍返しが相場なのに、これまで小さい攻撃しかしてこなかった、もしくはできなかったハマスが、何故、あれだけ大規模な攻撃をしたのか?
いろいろ、疑問は残るところです。
地下トンネルについては、私も違和感を感じました。
最近、イスラエルの「ユダヤ教超正統派」という名前を新聞や、マスコミで見ますが、それらのマスコミ情報から「今起こっている、本当のこと」を知るのは不可能でしょうね。
今回のハマスの攻撃も、これから起こる「あれ」に向けての、一連の流れの一つでしょうか?
自分でも「あれ」が何かははっきりしていませんが・・・
自分も、その情報見つけました。
ハマス幹部が声明してる動画等も、イスラエルはそこを追跡するテクノロジーがあると思うんですが、
もともとハマス設立にかかわった可能性のあるイスラエルなら、今回の人質交換の交渉の仲介国と伝えられるカタールで良い生活をしている可能性のあるハマス幹部がそこにいることを無視して、
もしくは今はカタールにいないとしても、少なくともそこにはいないはずであろうガザのトンネルの地下や民家の地下や病院の地下に、今まで通り「いると主張」して「民間人を」攻撃したいのかもしれませんね。
映像とか調べていても、イスラエル軍が攻撃しているシーンは見かけても、ハマスがミサイルを撃ってるシーンや銃を撃ってるシーンを遠巻きでもいいから映してるシーン等はほとんど見たことがありませんので、イスラエルはガザを破壊したいだけなのでは?とさらに勘違いしてしまいます。
『今回のハマスの攻撃も、これから起こる「あれ」に向けての、一連の流れの一つでしょうか?』
今回特に違和感を感じるのは、世界的な人達の規模でパレスチナの心配をしてくれてることです。
確かにありがたいことなんですが、
でも、狭依彦さんがここでパレスチナの情報を取り上げてくれて色々情報を確認出来た頃というのは、ほんとうに「世界のみんな」はパレスチナのことは無関心だったような印象があります。
もちろん、そうではなかった人達が思った以上にいたことを自分がちゃんと調べていなかっただけかも知れませんが、
ただ、メディアの取り上げ方を見ると、今はいやがうえにも、パレスチナの民間の人達を応援したり、イスラエルを非難したりするデモを取り上げている記事や動画を、何都合の解禁ですか?と驚くくらいたくさん見かけるんです。
そして、最近違和感を感じた極めつけはこの情報です。
https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_106361/
人質になっていたけど解放された、もしくは今もまだ解放されていない人質になったいる家族を、逆なでするような内容とさえ感じるネタニヤフ達の会合での発言、
その家族の人が言ったという「人質となっていた家族を返してくれたのはハマスのガザ指導者」という発言。
家族の人達と打ち合わせ通りに行ったのか、本気で怒らせたのかはわかりませんが、
今回特に嫌われ者役なイスラエルにしても、今まで以上にまぬけな仕掛けを感じざろうえません。
さらに、レバノンのヒズボラをはじめとする、イスラエルを非難する国々の最近の発言や行動。
国連やEUなどの発言等を含めたメディアの伝え方も、今まで以上に、あからさまにアメリカとイスラエルがおかしなことをしている感を強調してる印象もあります。
おかしなという表現はわかりづらいですね^^;
国際法的な部分で問題になるようなことをしているイスラエルとそれをを支持するアメリカに「非難だけ」は「今まで以上にしている感」を感じる印象です。
もちろん、イスラエルを支持する国も中立っぽい国も、みんなハマスのテロ行為は許されないとはしつこく言ってますが。
そういえば、今月、川崎の方で開催される講演に行く予定なんですが、そこで講演後に懇親会的なものもありそうなので日帰りはつらいかなと思って宿泊先探してたんですけど、
見つけたのが「縄文天然温泉志楽の湯」という所だったんです。
https://www.shiraku.jp/
そこは温泉だけで宿泊先はその温泉でも紹介しているすぐそばにある研修所みたいなところなんですけど、安かったので予約しました。
講演会場からはちょっと離れていて、電車で二駅程行かなければいけないようなんですけど、とっても興味を持ったので今からちょっと楽しみなんです(^^)
川崎とか横浜とかの山の方は、縄文中期に栄えていた場所ですからね。
関東方面に縄文の文化が栄えていたというのはなんとなく意外でした。
ちなみに、志楽の湯調べてたら
こんな土偶っぽいの出てきて興味が湧いたんですが、
https://www.shiraku.jp/wp-content/uploads/2018/08/c8caeb84b63ab048cbf9732d652f873f.png
岡本太郎さんのオリジナル作品でしょうかね。
https://www.shiraku.jp/2018/09/28/nl-1/
温泉のことが触れられている本(と言っても、少しだけですが)がありました。
そういえば、縄文土器を調べる参考にと思って狭依彦さんの縄文歌のブログ見てたら、この記事とっても印象に残りました。
https://zyoumonka.seesaa.net/article/500970490.html
『もしかしたら、弥生の前の縄文から、いやその前から、その魂はあったのかも知れません』
日本という国が、基本
決して大きくないうえで、伝えられている歴史どおりだとすれば、
他の国からの渡来や影響は避けられない可能性は高かったでしょうね。
争い合いという部分に関しては、「ドリフターズ」というアニメのアナスタシアという登場人物が日本人のことを
「あのせまい島国で
寝ても覚めても互いに殺し合う事しかしない連中よ。
その末裔に、私たちの国(ロシア)は負けたじゃないの」
と言っていた印象的なセリフがあるんですが、
日本って、思った以上に太古から他国というか世界的な支配勢力に影響を受け、コントロールされてる可能性さえあったのではないかとも思います。
あくまでも個人的な見解ですが、
結局あらゆる「神々」って、
物質にとらわれない高次元的な精神性を持つ異星人というイメージがあります。
異星人という部分では、アイク以上にスチュワード・スワードロー氏が伝えている情報が特に興味深いんですが、
大昔から、レプであろうと他の異星人達であろうと、
日本という国が重要な国になるよう影響を与え続けた可能性はあったような気がします。
そういう意味では、日本の歴史って、
それでも素朴で自由な発想をどこまでも感じさせる部分もある「縄文時代」と、
戦国時代から(むしろ少しずつ戦[いくさ]を失くそうとしたという説もある、ほんとうの意味での)「天下布武」に移行させようとした「織田信長」は、とっても重要な部分かもしれないと思うことがあります。
縄文時代の素朴で自由な印象のある部分に関しては、あの時代が思ったより長かったことを考えると興味が尽きません。
それだけに、そうじゃない流れになってしまったのだとしたら非常に残念であり哀しいことのような気もします。
「道具」ではなく「武器」にしても、その流れは弥生時代から加速していったかもしれません。
例えば、狩りで使うだけでなく、人同士が殺し合う部分に関しては、人を殺す覚悟から少しずつ遠ざかるかのような戦い方である、素手から「刀」や「剣」によって、それまでにも自治的に意見の合わない者同士の「ケンカ」はあったとしても、それが独裁権を求めた「部族間の争い」にまでなっていったかもしれません。
もともと狩りの道具でも使っていたかもしれませんが、木で作っていた弓矢や槍も、弓矢は技術的な修練が必要かも知れませんが、槍の武器化は薙刀も含めると、刀や剣よりその技術を身につける修練が少し短縮され、人を殺す覚悟もまた少し遠ざかることで、身分階級もはっきりと加わった独裁政権者になりたい者同士が軍隊を持って争い合う「いくさ」が日本全国で増えていったのかもしれません。
さらに、修練を必要とせず、人を殺す覚悟がはるかに遠ざかった武器というよりも「兵器」となっていった「鉄砲」となると、物資的な流れ的にもあからさまに他国の影響やコントロールはあったでしょうね。
「イルミナティ13血流」のスプリングマイヤー氏は、アメリカのジョン・F・ケネディは国民のためにイルミに逆らったのではなく、最終的にイルミ以上の権力を手に入れたかっただけではないかと伝えてる部分もありましたが、
信長の場合、まず戦国時代の世を変えるには、「いくさ」や「兵法」や「政治」に支配力を持った存在になることを必要とし、そのために色んな理不尽なものも受け入れながらも最終的には、国内からも国外からもどれだけ反対されようと、少なくとも戦国時代の流れは変えたかったのかな?と、
信長が好きな自分は、彼なら「国民のためにも」きっと変えようとしてたのでないかと思うこともあります。
家康を主人公とした時の違和感というか?
あんまり、考えないようにしていますが。
弥生の歌では、逆茂木の画像と、甕棺の画像を使いましたが、自分で使ってみると、あの時代の雰囲気を感じられるような気がしました。
織田信長が服部半蔵に預けた石川五右衛門をモデルにした元忍者だった主人公が、関ヶ原の最中に信長が愛用していた西洋甲冑をまとって家康のもとに現れ、
家康に対し「これで終わりだと誓え。戦いは終わりだと誓え。みんなが幸せになれる世の中を誓え」
そう言って、雨の中どこかに去っていくシーン。
それに対し、家康は
「天の涙か・・・終わらせねばな」とGOEMONの後ろ姿につぶやきます。
もう15年近く前の作品ですが、DVDのコメンテータリーで監督さんが「このシーンに対しては、そんな【甘い】ことや【綺麗事】を言ってみたいな批評をされたけど、でもそんな悠長なことを言ってる時ではもうないんです」というようなことを伝えていました。
歴史とは常に「勝ち組」的な者達が記録してきたものの方が多いとするならば、弥生以降も、その時代を生きていないと分からなかった色んな歴史があるのかもしれませんね。
そういえば最近「醸造物」という表現が気になっていたんですけど、
例えば、縄文の土器や土偶があれほどの個性や発想を醸し出しているのも、あの時代の人間達や野生生物達や自然の魂みたいなものが、その土に「醸造」されているのかもしれません。
言葉にしても、紙よりも、石や土や鉱物に示した方がもしかしたら言霊的な者が醸造されるのかも。
記録のみならず通信という部分でも、支配者層がこれから普及したがっている有害な無線の人工電磁波などによる電子的なものより、共鳴や記録をするとも言われる人体や野生生物達の体や自然にもあるといわれる「第4の相である水」を活かすことが出来れば、その波動を害のない「水晶」のようなものによって、声が聴こえるのみならず、その情景も映す通信的なものにして伝えあうこととかできないものかなぁと、最近考えることもあります。
縄文時代に関しては、何年、何世紀経っても語り手を遺さずにはいられないという部分を見ても、狭依彦さんのような人達が伝え続けてくれることで生き続けてゆく気がします。
真の不死とは、「忘れないこと」であるとするならばなおのこと。
宿泊先の方は、安かった割にいい方だったと思います。
とにかく、まずその部屋から温泉までのみちのりが長かった^^;笑
足場が裸足で歩くと体に良い作りになっていたようで、あえてゆっくりじっくりそこを歩いて欲しいという作り手側の工夫があるみたいです。
温泉自体は熱すぎず入れるので、長く入ってるとぬるく感じるくらいかもしれないです。
ちょっとお湯なめてみたんですが(というか、ちょっと飲んでみました☆笑)、これ飲んでも体に良さそうというくらい、心地よい塩分でした。
ロビーなどには、縄文関係の本とかも置いてありました。
風呂場以外にも、くつろげる場所だけではなく食堂等もあって、温泉入るだけで来てる人も結構いました。
遠いですが、お金に余裕があればまた行きたいです。
ところで、最近「ゴールデンカムイ」という映画見てたら、山田杏奈ちゃんのアイヌ的な役どころがとっても気になったんですが、
彼女が着てた衣装見てたら、アイヌの模様って、なんか縄文土器や土偶にある模様に似てるなぁと感じました。
研究してる人もいるみたいですね。
http://www.nhakodate.com/jomon_site/ainu.html
あの模様って、エネルギー的な表現なのか、それともメッセージ的なものなのか、とにかく興味深いです(゚∇゚ )
例えば、中期の八ヶ岳文明(国宝、縄文のビーナスを持っている)の文様などは、あまりアイヌとは関係なさそうです。
考古学では、これまで、ファクトと言えない分野は避けてきた、というか、想像上の見解になることが避けられない、「意味論」については、あまり言及されないようです。
ファクトを積み上げて、そこから導かれる仮設だけを言う。科学としては当然でしょうね。
そうなると、文様の意味とかに言及するのは「素人」が多いかと思われます。
私は、「エネルギーの流れ」を表していると勝手に思っていますが、これも、「願望」程度のことです。
今度の歌では、土器の文様が「畑」を表しているのでは、というのがあるので、それを歌にしていますが、組織的な縄文農耕の存在も結構、歴史的に避けられてきたテーマだと思います。勉強不足ですが、たぶん、否定されているかも。
とうことは、この土器の文様は畑ではないことになりますかな?
栗の林を管理したり、いくつかの植物の種を蒔いて収穫していますが、農耕より栽培などの語が使われます。
ということで、あんまり土器の文様に触れられることは無いのです。
勉強したことも、よく忘れるようになったので、これでいいと思いますが、ちょっと、自信ないです。
例えば、アイヌの刺繍的な作業で、そのひと針にまで宿す、ひと縫いひと縫いの「呪力〔おまじない〕」(「のろい」ではない気がします)が込められているというお話の記事を読んでみて思ったのですが、
https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/2277/
縄文時代に畑のような農耕があったとして、それをもし個人的に感じるアイヌ感で表現すれば、
作る時も、
土や、土の中にいる微生物や、そこに共に咲く雑草や集まる虫達(よく「害虫」と表現する人もいますが、害があると言われている雑草も含めて、それは現在の組換の作物自体や除草剤や殺虫剤等で雑草や虫達が対応反映している可能性があるとすれば、自然な農耕の際は、そこ集まる虫達や共に咲く雑草にも必ず意味があるというか、本来大切な存在のような気がしています)のひとつひとつの命を感じながら、
土を鍬等で耕す、そのひと掘りひと掘り、
そしてそれが実ってくれた作物を摘む時も、
そのひと摘みひと摘みに、
カムイとの一体感を感じていたのではないでしょうか。
そんな一連のカムイをエネルギー的に宿っている、形として遺る「模様」にしてその生活を土器に表している可能性もあると思いますし、
食べる時も、そんな土器に入れて食べながら、その作物に感謝したり、また実って欲しいと願いながら食べていた、カムイとの一体感的な感謝の「環」を感じ伝える土器だったのでは?という想像もあります。
刺繍的な模様でいえば「モレウ(渦巻紋)」にしても、「渦巻」や「螺旋」は自然や動植物にもその生命力のエネルギー的なフィボナッチ数列が目に見えて現れる部分もあるので、刺繍されたおまじないが、「同化的に」伝わりやすく広がりやすいのかも。