よって、このサイトの通常記事(アイクサイトで取り上げられている記事の翻訳紹介)とは内容を異にします。
縄文晩期は豊かではなかったのか?
少し前に、沢山縄文の資料館を回って、2つの縄文晩期の遺物を見て、今まさに、縄文の「豊かさ」を考えているところです。
縄文が「豊か」だったと言われるのは縄文中期(前3,500 - 前2,500年)を中心として言われることが多いと思います。
縄文晩期は「気候が寒冷化し」て、人口が減ってきて、たそがれてゆく時代のように言われることが多いと思いますので、そんなんかな、と思っていました。でも、2つの遺跡の遺物を見て、「弥生と時代が重なる頃の縄文も豊かだったんじゃないだろうか」と考えるようになりました。
縄文晩期は弥生の早期、前期と重なります。九州の方から弥生になって、稲作が急速に広がった西日本だけだから、重なっていて当然ですよね。
縄文晩期(前1,300前 - 前800年)
弥生 早期−前期 前1000年 - 前800年
1.金生遺跡(山梨県)
気候が寒冷化し遺跡数も減る縄文後晩期の遺跡
資料館で撮った写真。
この耳飾、「たそがれてゆく」時代のものとは思えない。
たぶん金生遺跡の遺物だとしての話。
写真とるときに確実に遺跡名は確認していないので、100%金生遺跡のものかは不明。
2.是川遺跡(青森県八戸市)
遮光器土偶(縄文晩期)
この遮光器土偶は国立博物館にあるよく出てくる2点とは違うものだけれど、自分で撮った写真を見て、非常に気に入って、何度も見ていたら、宇宙服説とかそんなんから離れて、「この時代も豊かだったのでは」と感じるようになりました。
土器(縄文晩期)
基本的に土器は中期の山梨・長野の八ヶ岳縄文王国のもの(縄文中期(前3,500 - 前2,500年))を見ていますが、東北のを何箇所か実物で見たら、やっぱり、東北も「豊か」であったのだろうと感じました。
特に、是川遺跡のは「縄文晩期」で九州の弥生時代の開始と重なるであろう時代ですから、ここで感じる「豊かさ」と稲作を導入してからの「豊かさ」、今の時代の人類はよくよく考えた方が良いでしょう。
おっと、「人類」と言ってしまうと、このサイトの言い方とは違った言い方になりますね。「今の時代を生きる個人個人」と言わないと・・・・・・
【サイト紹介の最新記事】
僕もじつは放送日の方は見落としていて、おとといの再放送の方で見ました。
ちなみに縄文時代の小さな村あたりの説明の時の絵のイメージ(何軒かの家々が、円を描くように建ち並んでいたカンジ)が、
なんとなくインディアンの集落と似たような雰囲気も受けました。
ある元の人間集団Aがあったとして、Aの一部はベリージア陸橋を渡りアメリカへ、一部は南に下がり、日本列島にやってきたと考えられます。
WIKI引用
約3万〜1万3000年前のウルム氷期の最寒期とされる頃、ベーリング海峡地域は陸地化しており、いわゆるベーリンジアとなっていた。ユーラシア大陸のモンゴロイドは、このベーリング地峡を渡ってアメリカ大陸に進出したのである。
縄文時代、そういう落ちたどんぐりなどの木の実を拾って
クッキーなどにしていたとする人達がほんとうにいたとしたら、
その人達は狩って殺すわけでも栽培して殺すわけでもない
ほんとうに平和な人達だったのかも。
その縄文時代にも、人によっては狩りもあったであろうし
農耕も少なからずあったという人もいますが
人間にとって「豊かさ」とはなんなのか、どういうことをいうのか
落ちてるどんぐりを見てふと考えさせられました。
たぶん、動物の本能と同じように、同族は殺さない本能があったと思います。
弥生時代になり、「支配」が出来たのですね。
米が蓄えられるので「財」となり「偏り」が出て「支配者」が生まれ、勢力を拡大するために「戦争」、敵は殺しても良い、そして「奴隷」みたいな感じだと思うのです。
それが、現代まで延々と続いている。
弥生時代を勉強していると気分が悪くなってきますが、最近ちょっとだけ見ています。
インディアンの人達も、そんな精神だったのかも。
『米が蓄えられるので「財」となり「偏り」が出て「支配者」が生まれ、勢力を拡大するために「戦争」、敵は殺しても良い、そして「奴隷」みたいな感じだと思うのです。』
それは同感です。