エボラ出血熱に直面して、シエラレオネ共和国(※)では白旗が振られている。
もしかしたらエボラの影響をもっと少なくできたのかもしれないが、病気の猛襲に同国の貧相なインフラ基盤はねじ曲げられた。
もはや病院に病人を収容する余裕がないので、患者たちは自宅で治療されるという発表は降伏であり、起こってはならなかっただろう。
ヨーロッパもアメリカも、病に冒され死に行くアフリカ人を見ないフリをするだけでなく、犯人と疑わしいものたちの援助をうけて、そうしているのだ。
WHO世界保健機構は「国連の体制の内部での保健の指導的調整機関」であろう。
世界保健機構という名前から、世界中の人々のニーズに奉仕しているように思われるが、実際のところは全く違っている。
WHOの予算に対する最大の寄付者は政府ではない。
米国もしくはイギリスよりも多く資金を出しているのが、ビル&メリンダ・ゲイツ財団だ。
WHOの行動や優先事項は、もはや世界の人々のコンセンサスを受けたものではなく、裕福な慈善家たちのトップダウンの政策決定によるものだ。
※アフリカ・西部・大西洋岸。北部はギニア、南部はリベリア。首都は Freetown。ダイヤモンドの産地(各国に密輸され国際問題に)。
元記事
「世界保健機構」と言われると「世界中の人々のニーズに奉仕している」ように思ってしまいますね。
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銃のAKをめぐる世界中の紛争や内戦などを取り上げた「カラシニコフ」という本に、
2004年頃までのシエラレオネのことが書かれてました。
もしかしたら以前コメントで載せたことがあった部分もあるかもしれませんが、改めてこの国の情報の参考として。
『シエラレオネ内戦は1991年に始まった。
・・・シエラレオネの内戦で兵士にされた少年少女は、15000人を超えたといわれる。住民の支持のないゲリラ各派は、襲った町や村で子供達を拉致し兵力不足を補った。子供は脅かすと従順に言うことを聞くし、ひとつの価値観を教え込めばその通り行動する。余計な事を考えないという点で、大人の兵士よりはるかに使いやすい。それが、大量の子供兵生み出した理由だった。
・・・シエラレオネの反政府勢力「革命統一戦線」(RUF)は91年、若手将校らを中心に結成された組織だ。「腐敗した政府を打倒する」ことを目標として掲げ、当初は支配地域で政治教育をするなどの政治性があった。しかし95年頃には政治性は影をひそめ、略奪や暴行が中心の野盗集団と堕していた。
・・・利権をめぐる政治指導者達の私利私欲がむき出しの戦争だった。
・・・RUFが結成される91年に始まっていたとされている内戦以前も、シエラレオネは国の態をなしてなかった。1787年、イギリスが解放奴隷を移住させてフリータウンの街をつくる。そこを中心に「国」が出来た。アメリカが1822年に解放奴隷を送りこんでつくった隣国リベリアと成り立ちがよく似ている。そして両国とも近代型の国家を建設することが出来なかった。移住者が先住者を差別支配したからだ。黒人による黒人差別だった。国民同士が対立し、国家への一体感は育たない。健全な国民意識が発達しない中で権力者はダイヤモンドなどの利権を私物化し、
【教育や福祉、医療、インフラ整備などの国の建設は放置】された。
腐敗した政治を正すという名目でクーデターが頻発したが、新しい権力者は前任者から利権を奪い取っただけで同じ収奪を繰り返し国民の生活など考えなかった。1961年の独立から40年以上がたつというのに、上水道の整備は35%にすぎない。電気は25%だ。
・・・国を東西に貫く国道一号線はろくな舗装がされていない。東のリベリアと西のギニアを結ぶ物流の幹線で、北部の住民は生活のほとんどをその道路に頼っている。しかし道路には深さ30pもの穴があき、雨期の雨で池のようになっている。政府にそれを修復する意思はまったくないようだ。物資輸送の大型トラックは時速20キロの低速でしか走れない。国際空港は首都フリータウン沖合の半島の先端にある。そこに通じる道路も、町から7キロあたりで舗装がなくなる。あとは穴ぼこだらけの赤土の道路で、車だと半日かかる。飛行機に乗ろうとする人々は、首都と空港を往復するヘリコプターに頼るしかない。フリータウンには20人乗りのヘリコプターを空港まで飛ばす会社が2社あり、毎便満席で繁盛している。国家が何もしないために成功している商売だ。シエラレオネの人口は500万人弱しかないが、東部のリベリア国境近くで良質のダイヤモンドが産出される。年産数10億ドルにのぼるダイヤ利権をめぐり、政争が繰り返された。政権を握った者がダイヤ収益を独占し、自分の一族に分配するという仕組みだ。その利権に、隣国リベリア反政府指導者チャールズ・テーラーが目をつけた。テーラーはリベリア政府の閣僚まで務めたが、公金を横領していたことが明るみにでて国外逃亡した人物だ。アメリカで逮捕されたが脱獄しリベリアに戻って反政府組織「リベリア国民愛国戦線」を結成、89年に内戦を始めた。RUFはそのテーラーとつながっていた。RUFは東部のダイヤ産出地帯を支配してダイヤを安く買い取り、国境を越えリベリアのテーラーに売り渡す。その見返りにテーラーから武器弾薬を受け取っていた。テーラーは97年の選挙で勝利してリベリアの大統領となる。就任と同時に国家予算の私物化を始めた。今度はその利権をめぐって反政府運動が生まれる。反政府各派は子供達を拉致して兵士にした。リベリアの子供がシエラレオネで兵士にされたり、その逆もあった。テーラーは2003年8月、反政府勢力に追い詰められて辞任しナイジェリアに亡命する。国庫の現金をすべてさらっての逃亡だった。
・・・シエラレオネはゲリラ占拠中、町は略奪を受けて食料がなくなり住民は犬や猫まで食べていたと聞かされた。
・・・何もない市場に赤い肉が出る時もあった。人肉だという噂が広まったが、でもこの町に残った人で赤い肉を食べなかった人はいないという。
・・・内戦の10年で、約500万人の人口のうち10万人近くが殺され200万人が難民化した。町や村は放棄されて荒廃した。国は壊れた』