2007年10月28日 Tweet It!

陰謀

アイクのニュースレターより

私のような人間はなんでも陰謀とみなしてしまうと、よく、非難される。しかし、私自身は、そんなことはないと言える。私は、多様な仮面を着けた「一つの」陰謀を見ているだけで、こん週に英国であったのは、全部が、イルミナティの仮面舞踏会のようなものだろう。

今週、英国で起こったことは、北アメリカや世界各地で起こっていて、それらは、同じ目標、同じテクニック、同じ力がたような偽装のもとで使われているにすぎない。

実際、私がここ何年か強調しているように、われわれは単に「陰謀」をそれだけとは見ていない。世界単一帝国を作ろうというアジェンダがそれなのだ。アジェンダを実現させ、それに対する脅威とみなされる者たちを抑圧または貶めるための「操作」が「陰謀」なのだ。

このように、多くの表面上は繋がっていない事件、状況、陰謀は、単に、世界独裁のための同じアジェンダ・同じ陰謀の別々な表現にすぎない。

アイクの思想でも、狭依彦の信奉する思想でも、「彼ら」は「彼ら」なので唯一の「神」ではありえませんが、「天使」くらいではあるかもしれない。
アイクもその「彼ら」に「悪魔」という名前を与えて「憎み」続けているわけではないし、狭依彦の信奉する思想でも「世界に必要な構成要素。天地の間のにごり」と考えています。
ただ、イスラ○ルを支配している勢力が現実に行っていることに対しては「怒り」を向けてもよいと思うので、そういう記事のときはそうしているつもりです。
それが、すべてを「悪魔」扱いして、「憎しみを向けている」と読者が感じられるなら狭依彦の不徳の致すところです。

ただ、アイクの思想では「人間は唯一の神の一部が神から離れでてただよっている」状態であろうし、狭依彦の信奉する思想でも「人は神の子、神の宮」で、「覚醒」すること、「あっちの側から離れて、真実を見ようとすること」を主題としていると思っています。
人間が「地球のガン」状態から脱却して、違うものになれたらいいな……とも、思います。


posted by 狭依彦 at 22:51 | Comment(5) | TrackBack(0) | イルミナティ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おっしゃるとおり。アイクは洗練されたスピリチュアリストだと思っています。
Posted by kanchama at 2007年10月29日 00:33
最近、支配者層もさることながら、我々が言う「戦争を忘れるな」という言葉の意味をよく考えます。
少なくとも、「戦争をさせたい」(むしろ戦争は終わって欲しくない?)支配者層が使う時、
「戦争で苦しんだ、そして亡くなった人達のことを決して忘れないように、2度とあのようなことを繰り返さないように」という思いを込めてるようには、僕は感じることができませんが、では 我々の場合はどうなのでしょう・・・?

例えば「もう2度としない」という意味で もしほんとうにすっかり「忘れた」人達だけになった時代が訪れて、そして さらにその先に生まれてくる世代がみんな戦争というものをもはや「知らない」時代がもし来たとしたら、
それこそ「支配者層」すら、少なくとも「戦争をさせたい」者達がごっそりいなくなるように「戦争をさせない」支配者層に入れ替わったり、それこそ「戦争を必要としない支配以外のなにか」でみんなが生きている時代にもしなれたとしたら・・・
それでも 人間である限り、その戦争が無くなった時代からまたさらに時がたてば、まったく戦争を知らなかったはずの者達が いつからか誰からかまた戦争を「本能的にというか無意識に」(?)はじめてしまうものなのでしょうか・・・?
Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年03月15日 12:09
最近「しにがみのバラッド」というドラマのDVDを見た時、
「死神」というものは『本来きめられた数の魂』を運ぶ役割を担っている、というようなことを言っていました・・・。

これほどまで長い長い歴史の中で人類が戦争を続けてきたのは、
アイクが言ってきたように何年も何十年も何百年も何千年も...レプ達が支配者層のレプの血流に潜んでこの地球を支配し、そして人類に「戦争をさせてきた」からなのでしょうか・・・?
それとも レプなどほんとうはいなくて、「争い合う本能を無意識に持った(?)」人間の魂が、何年も何十年も何百年も何千年も...もしかしたら生まれ変わり続けながら戦争を繰り返してきたのでしょうか・・・?


「霊界物語」あたりには、そのようなことと関係のありそうな話ってありそうですか?
Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年03月15日 12:11
死神については、そのような話を、どこかで聞いたことがあります。『霊界物語』ではありません。

『霊界物語』では、「争う本能」というものはありません。
「邪」が生まれたのも、「愛しすぎた」ことが「利己愛」となり、「恨み」が生まれ、天地間に「邪」の先祖が生まれたみたいなことになっていると思います。
「邪」も「正」も近いところにあるような感じです。
この考え方、宗教臭くて好きではありませんが、たぶん、そうなんでしょうね。
Posted by 狭依彦 at 2010年03月15日 21:17
>「愛しすぎた」ことが「利己愛」となり、「恨み」が生まれ、天地間に「邪」の先祖が生まれたみたいなことになっていると思います。

「利己愛」でも、『愛しすぎた』というのはとても興味深いです。
ありがとうございました。
Posted by それでも 地球と人類を愛した者へ at 2010年03月16日 08:21
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