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(1)ダライ・ラマはチベットに階級システムは存在しなかったと言っているが、チベットは中国によって解放されるまでは、少数の独裁政治であった。
(2)チベットはいくつかの階級に分かれていた。
支配階級は3つに分かれていた。ラマの僧院は耕作地と放牧地の37パーセントを所有していた。宗教とは関係のない貴族が25パーセント。残り38パーセントはダライラマの相談役に指名された政府役人の手にあった。
チベットの人口の約2パーセントが上流階級、3パーセントがその上流階級の代理人、番頭、執事、土地の管理人、私有の軍隊であった。ger-baと呼ばれる200の家系がその上流階級であった。
626人(その半数は宗教関係者)が土地の93パーセントとヤクの70パーセントを私有していた。
(3)金持ちの上流階級は一夫多妻であり、裕福でない貴族は多夫一妻(一人の女性を兄弟が共有する)こともあった。
一般の国民の多数は、農奴であり、アメリカ黒人、ロシアの農奴と同じく、移動の自由などを認められていなかった。
上流階級の者は、農奴の女性を性のなぐさめものとすることもあった。
また、農奴の下に奴隷階級が5パーセントほど存在した。
女性差別もあり、女性は男性よりずっと劣ったものであり、前世からの悪いカルマによって女性に生まれたとされた。
(4)カルマの思想は、農奴となった者は、前世の行いが悪かったから農奴となり、奴隷所有者は前世の行いが良かったからその地位になった。だから、現世を問題にしても仕方がないという口実になった。農奴所有者は、カルマの思想によって、悪いカルマの農奴を救うものとして、徳のある者とされた。
チベットの仏教は、アイクの言う「宗教」としての機能を果たしていたわけだ。
(5)14世紀以降のダライラマの77パーセントは子供であり、大人になるまで成長したものは少なかった。このダライラマも、裕福な階層から選ばれたものであった。
(6)これらの農奴は支配されることに抵抗しなかったと公式の歴史にあるが、1900年代にも4度ほど、農奴の反乱は起こった。1918年には女性をリーダーとして大きな反乱が起こった。
(7)中国の「解放」はこの独裁体制に終焉を打ち、農奴、奴隷を解放し、生活レベルを引き上げた。
中国の共産主義を擁護する訳ではありませんが、国民の大多数の農奴、奴隷にとっては文字通り「解放」だったのかも知れませんね。
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ただ、1950年以降の中国の介入が、虐殺や地域の破壊などの侵略が事実だったとするならば、一方的に中国が正しいとも思いませんが、
だからといって、中国が介入する以前は貧富の大きな格差もなく、チベットの政治が道徳的な制度だったなどなどの主張というのも・・・。
階級システムや、それこそ何%の確率の問題ではなく奴隷の階級じたいあった独裁政治だったことは、やはり宗教である以上僕も否定できない事実だと思います。
それにしても、前世の罪を「裁く」資格ってなんなのでしょう・・・?
農奴の人達以上に、女性や奴隷の人達はさらにどんな扱いをうけていたのでしょうね・・・。
宗教や人って、なぜ「罰」というものにこうもこだわるのでしょう・・・?
と思うことがあります。
とくに85年生まれあたりの子達以降(バブル全盛期という言葉では片付けられないくらい)は、ほんとうにすごい子(特に女性が多いような...)が多いような気がします・・・。
アイクさんについてでも言っていますが、この記事も7割は信じられるのではないでしょうか。