2008年04月21日 Tweet It!

ダライラマの本当の顔(2)

ダライラマの本当の顔の続き

この記事は毛沢東主義を賛美し、文化大革命を擁護し、それを中止させた勢力を修正主義としています。
現在の中国はその修正主義勢力が権力を握って、資本主義化を推し進めている。
この主張には同意できないところもありますが、チベットの状況を7割方描写していると考えます。


(1)現在ではダライラマは国際的に物質主義ではない聖者とされている。
現実はダライラマはチベット最大の農奴所有者であった。
法的にはラマはチベット全土と全人民を有していた。現実的には、ラマの一族は、直接的に、荘園を27箇所、牧場を37箇所、農奴を6,170人、家事奴隷を102名抱えていた。

(2)ダライラマが移動する際には数十名の奴隷に王様の椅子を担がせ、イギリスの帝国主義者に習った行進曲で行進した。ラマのボディーガードは皆大男で、長い鞭を持ち、道を歩くものたちを鞭打った。これは、ラマの自叙伝にも書かれている。

(3)チベットが中国により「解放」される以前は、チベットの農奴たちは「革命」が中国国内の至るところで行われていることなど想像もできなかった。「革命」なるものが可能であるという考えも抱かなかった。

(4)1949年には、まだ、チベットの農奴の地下活動もなかった。チベット人の共産主義者も皆無。チベット語を話す漢人の共産主義者もいなかった。

(5)1950年に中国の共産主義者はチベットに迫り、チベットの支配階層に、チベットは中国に将来帰属させるが、当座は、中央人民政府の指導のもと、チベットの農奴所有主が地方政府として統治を続けることができるような妥協案を持ちかけた。

(6)1951年、人民解放軍は平和的にラサに入った。

(7)ダライラマの弟はCIAとの関係を強化するために外国へ行っていた。CIAはコロラドの高地でチベットのエージェントのための戦闘訓練施設を開設した。CIAの航空機がチベットに武器を投下した。

(8)毛沢東は人民解放軍によって「解放」する方法は取らず、チベット人内部で革命を担える人たちが出るまで教育などを行う戦略をとった。
 中国共産党は、電話、電信、ラジオ、印刷などをもたらした。1955年には農奴などが入れる最初の小学校が設立された。また、医療技術者も育成した。
 これにより、チベットに流布していた迷信が払拭されてきた。

(9)1950年代中ごろには最初の中央チベット共産党員が生まれ、1957年には共産党員が1,000名、共産党年少党員が2,000名となった。

(10)1959年、武装した僧侶、チベット兵などがラサで蜂起。僧は「漢人を殺せば、生き仏となり、自分の名前を冠した聖堂を建ててもらえる」ことになっていたという。
しかし、大衆の指示があまりなかったので、蜂起は数日で終息。ダライラマは亡命することとなる。
 支配階級13,000人が亡命し、チベットの3人のマイスターは去った。
 ラマ教寺院も多くが無くなった。

(11)ダライラマが亡命する際の、料理人とラジオオペレータはCIAのエイジェントだったと自叙伝にも載っている。

(12)その後、元農奴などの多くのチベット人が「文化大革命」に自主的に参加し、土地の再配分が行われ、人民公社が作られ、生産性があがり、貧富の差が無くなった。女性が、積極的に革命に参加した。この時に、ポリガミー(一夫多妻、多夫一妻)が終わりを告げた。

(13)昔のチベットでは聖なる動物が何種類も定められており、穀物を食べるネズミなども駆除することができなかった。1966年にはそのタブーに挑み、ネズミの駆除キャンペーンも行われ、衛生状態も改善された。

(13)毛沢東の死とその路線の否定−修正主義はチベットに打撃を与えた。

(14)中国政府は1971年には「4つの基本的自由」−宗教の自由、交易の自由、利子を取って金を貸す自由、労働者や召使を雇う自由を認めた。

(15)毛沢東後の中国政府は修正主義者−向資本主義者の官僚が支配した。1976年の修正主義者のクーデータは、チベットにも押し寄せ、元農奴の貧乏なチベット人が共産党より除外されることとなった。

(16)1977年にはチベットの昔の風習を復活させた。80年代にはラマ教の寺院は200以上、僧侶も45,000人程度になっている。

(16)1978年には囚われていた元支配層も解放され、米国高官もチベットを何度も訪れることとなった。

(17)1981年には人民公社は解体され、土地と家畜がが均等に配分され、個人の責任とされた。
これにより、7年後には貧富の差ができ、土地を集積し金持ちとなったもの、土地を無くし貧乏になり金持ちの耕作人に陥る者も出た。

(18)修正主義者官僚はチベットの資源を開発するとして、漢人の移住者を多くチベットの都市に移り住ませ、漢人の役人がチベットを支配することとなった。
中国政府は、昔の支配層に金を与え彼らを復活させる政策を行った。
しかし、実権を握っていたのは、新興の地主と中国政府の官僚で、昔の支配層はその下層であった。

この文章では毛沢東を解放者として崇めています。アイクも言っていたように、毛沢東がイルミの使い走りであるとすれば、これらの歴史も色を変えます。

(1)人民解放軍とチベットの被抑圧者による共産主義。元支配層の打倒と貧富の差の解消。

(2)毛沢東による「文化大革命」による元被支配層の狂乱と報復。その中でも、ずる賢いものが富−力を貯める。

(3)実は毛沢東と同じムジナの修正主義者の登場により、一旦、貧富の差が縮まったところに、新しく貧富の差の創造。(新しい富者は昔の富者とは違う。しかし、昔の本当の支配者は彼らの影で復活)

(4)修正主義者漢人によるチベットの支配。チベットの人たちは再び苦しむ。

さて、今、チベットで殺され、投獄されている人々は、いったいどの勢力なのでしょうか?


posted by 狭依彦 at 22:19 | Comment(8) | TrackBack(0) | 国際アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ケムにまくってこうことなのねぇ
Posted by ニャン中事だ at 2008年04月22日 12:20
ゆういれるのわすれた
Posted by ニャンちゅうことしてくれる at 2008年04月22日 12:25
黒字のところは元記事の紹介ね。長いのでうまく抄訳できていないかも知れないけれど、一応、客観的に紹介したつもり。
後の紫が狭依彦の見解ですが、自分でも、文革から現代中国までが整理できていませんので、「ケムに巻く」と言うよりは「よく分かっていない」が正解でしょう。
しかし、「仏教の元、上下の人々が平和に暮らしていたチベットを、中国が占領して、指導者層を追い出し、残った民衆を支配して苦しめている。自由をチベットに」というのはあまりにも単純な話でしょう。
>「4つの基本的自由」−宗教の自由、交易の自由、利子を取って金を貸す自由、労働者や召使を雇う自由。
この自由が「自由」であるか?これも見解が分かれるところではありますが、チベットに自由がもたらされるとしたら、この手の自由でしょう。(世界中この自由があふれていますから)
Posted by 狭依彦 at 2008年04月22日 21:37
前回に引き続き、載せてくれたこの記事も読んでいると、
どんな理由であろうと、チベットというところは間違いなく、「支配者」達にとって重要なところであり、常にコントロールすべきところなのでしょうかね・・・?
ナチスとチベット僧侶がつながりがあったといわれたことも事実だとすれば、
ナチスのメンゲレのような存在が、チベット側でも野放しになっていたのでしょうか・・・?
それこそ、まさかヒトラーが、チベットの邪教かなんかで、今だに生きていたりして・・・。
Posted by RAMBO at 2008年04月27日 19:09
チベットには最近鉄道が引かれて、関口さんが行っている画像を昨年見ました。
この記事を読むと、記事を信じて毛沢東の時代が征服ではないとすると、以降、また、漢の支配と前支配層を戻す動きがありますよね。
たぶん、どこの国でも、新興支配層に混じって本当の支配者がいるはずだから、チベットはコントロールすべき場所なのでしょう。
Posted by 狭依彦 at 2008年04月27日 22:03
一見不毛な山岳地帯に何かの巨大鉱脈が眠っている、または本当に5次元世界への入り口がある?

たしかに気になりますね。チベット。
Posted by kanchama at 2008年04月29日 10:55
結社の起源とか、各民族の分類、起源とか、人類を羊の群れに例えると、何が、見えて来ますか。狩猟、遊牧民族の後ろに、裏に、何が在りますか。
Posted by at 2008年04月30日 06:06
この元記事に遊牧民が出てきますね。
記事では、毛沢東主義を信奉している、貧乏人が多いことになっていますね。
ところで、この記事面白くないですか?
http://icke.seesaa.net/article/1062723.html
Posted by 狭依彦 at 2008年04月30日 19:54
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