イスラエルを支持する圧力団体がオンラインの百科事典Wikipediaに入り込み、長期に渡るひそかな活動を画策している。彼らは、パレスチナの歴史を書き換え、露骨なプロパガンダを事実として示し、Wikipediaの管理者になって、自分たちが修正した内容が発見されたり、問題視されたりしないようにしようとしている。
この親イスラエルグループはCAMERA (Committee for Accuracy in Middle East Reporting in America アメリカにおける中東報道の正確性委員会)で、そのメンバーや関係者から一連のEメールが The Electronic Intifada (EI)(Intifada:イスラエル創立で追放されたパレスチナ人の対イスラエル抵抗運動)の手に入ったが、それらはCAMERAが「Wikipediaでの戦争」(あるメンバーの言葉)を行っていることを示している。
元記事よりメールの一部
例えば、「パレスチナ人が自爆犯になるのはイスラエルの抑圧的な政策に対抗するためだ」という不都合な文章を削除、または修正するとしよう。
まず、この記事を修正する前でも後でもよいが、ディスカッション・ページにコメントを書き込む必要がある。
「イスラエルの政策は『抑圧』ではなく『自衛』である」と主張して、自分の修正箇所を守ろうとしてはいけない。とにかく、パレスチナ人が自爆犯になるのは他にも理由、例えば憎しみの教育などがあることは明らかだからだ!。
ストレートに主張する代わりに、元の文章がWikipediaのポリシーとガイドラインに違反していることを示すのだ。重要な指針に、表現はNPOV(Neutral Point of View 中立的見解)に立たなければならないというのがある。
ディスカッション・ページには次のように書く。
“この文章はWikipediaのNPOVポリシーに反している。理由は、イスラエルの政策が『抑圧的』であるという表現は意見であるからだ。中東専門家はよく「パレスチナ人が自爆犯になろうと決意する理由の一つに、憎しみの教育やパレスチナ社会での殉教の賛美がある」と書いている”
(太字は狭依彦)
また、CAMERAはこれらのメールがでっち上げであると主張している、とあります。
元記事
メールの内容、勉強(?)になりますね。
ところで、日本の文章の多くが、この手法を取っているのでは?
【パレスチナ以色列の最新記事】


パレスチナの主観、
イスラエルの主観、
どちらでもない者による主観〜客観的な意見があるでしょう。
さて本文については、
人間という立場による客観と、
創造主の立場による客観を分けて考えるのが第一歩でしょう。
しかし、創造主の振りをするいたずら者がヘビになったり、名前を明らかにすることなくテキトーなことを言っているテキストがあります。
そのような諸々の立場を明らかにしつつ主観的な意見を展開する 小説仕立てのストーリーを公開したら面白いかも知れません。
(1)パレスチナ人が自爆犯になるのはイスラエルの抑圧的な政策に対抗するためだ
というのは「主観」ではなく「客観」に近いと思います。
(2)その客観を覆すために
直接のイスラエルの主観「自衛」を使うのではなく、
(3)客観的に見える「専門家」の意見を引用し、主観・客観とは違うレベルの、ガイドラインを持ち出すということです。
(4)うまく行けば、(1)の主張はゼロになるということ。
「世界」レベルでは上記(1)は、パレスチナの主観ではなく、「客観」に近い認識だと思います。
日本では、違うだろうけど……
踏み砕いて走る 車輪の音がする
「認めない」と叫ぶ 少女の声は細い
“いなかった”も同じ 少女の声は細い...
でも ─ 忘れてはいけないことが 必ずある
口に出す事が できない人生でも・・・
なまぬるい指で 宥められて消える...
争わないように 嫌われないように
歌う歌は キャンディソング
だけど・・・だけど、だけど ─
忘れてはいけないことが 必ずある
口に出す事が できない人生でも・・・
「忘れてはいけない」という歌を思い出しました・・・。
「輪廻転生」というものを受け入れるなら、 人って、
実は誰しもが、生まれ変わる前のことを
「忘れてる」のではないでしょうか・・・?
でも、それは「忘れてる」のであって、
決して「完全に失くした」わけではないとおもいます・・・。
「いろんな意味で」、
我々は、 まだ“失ってないもの” があると思います・・・。
「目覚めるように」、常に人それぞれに
今は忘れてるだけの「それ」を思い出していければ・・・
むしろ、いつまでも、都合よく...
騙して“支配”することの方が、
もしかしたら、よっぽど難しくなるかもしれません・・・。
ちょっと意味が違うような気がする。積極的に騙されて、“支配されている”ようにさせている、という表現が当っているのでは……
だから、それが難しくなるのは、「自然」には来ないような気がしています。
確かに、人それぞれかもしれませんが
「積極的に騙されて」というのは、言われてみると同感です。