個人サイト www.geocities.com/cliff_shack/index.htmlスターリンの父ははっきりわからない。
公式発表では、スターリンはグルジアのゴリという町の靴屋ということになっている。しかし、探検家プレツヘヴァルスキーという噂があるが、彼はホモセクシャルである。
スターリンの死後、いろいろな説が出され、裕福なユダヤ人のワイン商人ヤコブ・エガナタシヴィリなどが候補にあがっている。
スターリンは1924年から1953年までの期間に、2千万人の人を殺している。そうなると、何か裏の権力と繋がりがあったはずだ。腕のある靴職人や、裕福なワイン商人では、そんな裏の力とは繋がりがあろうはずがない。
スターリンと並んで、人を沢山殺したのがヒットラーである。ヒットラーとスターリンは悪の双子と言ってもよいのではないか。そこで、二人が隠れた最高の権力である「ニュー・ワールド・オーダー」と繋がりがあっても何ら不思議はない。
そこで、筆者は、グルジアのワイン商人ヤコブ・エガナタシヴィリを訪れた客の一人を想定する。それは、パリのロスチャイルド銀行のエドモンド・ドゥ・ロスチャイルドである。
スターリンは1879年12月21日、グルジア共和国のゴリで生れた。スターリンが母の胎内にいたとき、ロスチャイルド一族はロシアの原油で大儲けしていた。
コーカサス山一帯のロシアのアゼルバイジャン・アルメニア・グルジア地方にまたがる、バク油田地帯は1873年にオープンしている。スターリンが生れる6年前だ。ロスチャイルドの原油の西欧での販売に力を尽したのが、ロックフェラーのスタンダード・オイルだ。1877年には、バクの原油の輸出のためバツミの港が開かれた。
ロスチャイルド側でこの原油に関わっていたのがエドモンドである。彼は、自分のヨットで、地中海を渡り、黒海の沿岸来たことだろう。そこから油田地帯までは、スターリンの生れたという町を通っていかなければならなかったのだ。
また、グルジアはワインで有名で、エドモンドはワイン愛好家であった。ユダヤ人のワイン商人ヤコブ・エガナタシヴィリとも繋がりがあり、そこに宿泊して美しい洗濯女に気を引かれたかも知れない。
ヒットラーもロスチャイルドの庶子であると疑われている。
ヒットラーとスターリンは共に、ロスチャイルドを非難することから、彼らの政治活動を開始している。
スターリンとヒットラーはいとこであったのか?そう考えると、いろいろなことが説明がつく。
例えば、スターリンはヒットラーが東欧のユダヤ人に近づくのを黙認した。これは、ロスチャイルドの悪夢を解消するのに役立った。悪夢とは、パレスチナは事実上エドモンド卿によって設立されており、当時はまだ基盤が確立されておらず脆弱であった。また、その国(現在のイスラエル)は、スエズ運河を守る軍事国家として計画されていたのだ。そんなところへ、何十万人の貧乏人が移民として殺到するということである。
歴史上は、スエズ運河の確保により、ロシア原油は、東洋に安全にコンスタントに送られることとなった。