アルベルト・アインシュタイン:剽窃者とペテン師今日ではアルベルト・アインシュタインは「現代科学の父」として尊敬されている。
アインシュタインのしわくちゃの顔ともじゃもじゃ頭は天才科学者のシンボルとなっているし、有名な「e=mcの2乗という方程式は科学的もしくは知的なもののシンボルとして繰り返し使われている。
しかしながら、この「現代科学の父」は自分のアイデアや業績をごまかし、他人の仕事や研究を盗んでいる詐欺師でしかなかったという証拠が何年にもわたって積み重ねられてきている。
アインシュタインに対する最も明白な証拠が「彼の」最も有名な方程式に関するものだ。
あるウエブサイトでは、
「e=mcの2乗という方程式は永遠にアインシュタインと彼の相対性理論に結び付けられているが、最初はアインシュタインによって発表されたものではなかった。
ペルジア大学の数学史専門のUmberto Bartocci教授によると、この有名な方程式は最初はOlinto De Prettoによって発表されたもので、アインシュタインが方程式を発表するのに2年先駆けていた。
1903年にPrettoは方程式を科学雑誌Atteに発表し、翌年にはヴェネトのロイヤル・サイエンス・インスチチュートによって再び発表された。
アインシュタインの研究は1905年までには発表されていない。
アインシュタインはイタリア語に堪能であり、北イタリアに短期間居住していたことさえある。」
アインシュタインの私生活(1)最初の妻ミレーバ・マリッチMileva Marić。
マリッチは学校でのアインシュタインの3年先輩。アインシュタインより優秀な学生だった。
結婚の1年前、マリッチは女児を出産。女児のその後は不明。すぐに養子に出されたと思われ、アインシュタインは顔も見ていない可能性がある。(
WIKIにはこの話はない)
結婚後男児2児をもうけたが、家族が一緒に暮らすことはなかった。
(
WIKIではマリッチは不仲で子供を連れて去ったことになっている)
離婚前にアインシュタインは「結婚を継続する」条件のリストを送っている。このリストでは「
君は愛情を期待することはできない、どんなことがあっても私を非難してはだめだ」という専制的な一文もある。
(2)Elsa Lowenthal。アインシュタインのいとこ。1912年のベルリン旅行のとき関係を持ち、その後2年後にアインシュタインは家を出て彼女と一緒になる。1919年には妻Maricと離婚。アインシュタインはMaricとの子供とその後ほとんど会っていない。離婚後すぐにElsaと結婚。
(3)Betty Neumann。友人の姪。Elsaと結婚後2年ほど後に関係を持つ。
参考(
日本語 WIKI)
元記事アインシュタイン理論への他人の成果の剽窃も書かれていますが省略します。
「アインシュタインの妻」という映画だったか、ドキュメンタリだったかを見た覚えがありますが、内容は覚えていません。つまらなかったので、途中でやめたかも知れません。
私はアインシュタインはそんな人だと思っていますが、このようなことが書かれた文章とはなかなかめぐり合いません。
だいたいの論がWIKIのようなものではないでしょうか。
特に日本はアインシュタインをまつりあげているように思います。
以前、アインシュタインはイルミ側の人間であるかと、英語でいろいろ検索しましたが、そのような情報は発見できませんでした。
昔書いた狭依彦の文章