元記事には画像や図が多くあります。
このガイドストーンに関する包括的な説明だと思います。抄訳:内容選択狭依彦
(1)このストーンが何のために誰が作らせたのか知っているものは誰もない。
(2)最近、NWOを反対している人たちによってストーンが落書きされた。
関連記事(3)この石を作らせたのは、Robert C. Christianと名乗る男。彼は1979年6月にElberton郡のElberton Granite Finishingに現れた。教育のあるもの静かな男だった。
彼は、「自分はロイヤル・アメリカンという小さなグループに属していて、とてつもなく大きく複雑な石のモニュメントを建てる計画をたてている」と語った。
(4)「このモニュメントは、コンパス、カレンダー、時計として働くように計画され、どのような破壊的な出来事にも耐え、災害を生き残った人々が、文明を復活させるために役立たせたい」と男は語った。
(5)モニュメントは太陽の位置を観測できるような機能、北極星をいつも見ることのできる穴が開いている。
(6)Robert C. Christianは地元の石材業者であるFendleyに製作を依頼した。この石の構築物はそれまで同地域で作られたものと比較できないほど大きく、複雑であった。
Fendleyは銀行家のWyatt Martinに相談した。このWyatt Martinが依頼人Christianの代理人となる。
(7)ChristianはFendleyに10,000ドルを渡した。Fendleyは製作を請け負った。構築物の設計は10ページ以上にわたり詳細が書かれていた。
(8)モニュメントを置く場所は、FendleyとMartinの助力により探された。土地の持ち主には五千ドルが支払われた。
(9)依頼人Christian氏は、最初の指示をした後は、再び現れることはなく、Martin氏を通じてだけ手紙で指示を送った。Martin氏は後々まで依頼人と連絡を取っていた。
Christian氏は、Martin氏に連絡するときも、手紙はいろいろな場所から出されており、Christian氏が誰であるかは分からなかった。
(10)銘文は8ヶ国語で書かれている。また、エジプトのヒエログリフ、古代ギリシャ語、サンスクリット、バビロニアの楔形文字でも書かれている。内容は下記リンク参照。
(11)
国連が死語も含んで、いくつかの言語の訳を提供している。
(12)1980年4月22日にモニュメントの完成セレモニーが行われた。約400名が参列し、アトランタのテレビ局の取材もあった。
その結果、モニュメントを見る人でElberton郡は人気のある観光地となった。
(13)1993年、
オノ・ヨーコが現代音楽作曲家ジョン・ケージのトリビュートアルバムで「ジョージア・ストーン」という曲を作った。オノ・ヨーコはこのモニュメントを評価している。
(14)依頼人Christian氏とWyatt Martin氏は、完成後も連絡を取り合い、Christian氏が最後に連絡をしたのが、9/11の時期。Christian氏は80歳代半ばと思われ、その後死去したようだ。
(15)モニュメントが新世界秩序と関係があるとしたのは、Mark Dice氏(実名John Conner)で、モニュメントは悪魔の構築物だとして粉々にすることを主張。
しかし、それが反響となり多くの人が訪れるようになり、モニュメントを擁護する勢力が多くなった。
(16)Jay Weidner氏は、Christian氏はその名前からもバラ十字会の関係者であると主張。モニュメントはバラ十字会が何世代にもわたって伝えてきた秘密知識−13000年の太陽のサイクルを表しているという。
(17)Christian氏のことを知る唯一の人Martin氏は、これらの説を正しくない言っている。彼は本を出そうとも考えたが、結局、Christian氏の手紙を含む資料を発表することなく、自分の知っていることを墓場に持ってゆくつもりという。
WIKI(英語)現代の十戒(訳あり)元記事興味深い記事です。
碑文の十戒は、ニューエイジの思想と近いと、元記事にあります。
このモニュメントはいやらしい「気」を発しているように思いますが、そいう言っているの非関係者のようですね。(15)、(16)が参考になります。
実際は、依頼者が何のために建てさせたかが分からないのでしょうね。