2013年01月04日 Tweet It!

第二次世界大戦中津波爆弾実験

第二次大戦中ニュージーランド海岸の沖合で「津波爆弾」が実験された

第二次大戦中にニュー・カレドニアやオークランドの近辺の水域で実験が繰り返された。そこで分かったことは、この津波兵器は実現可能で、沖合いで10発の大きな爆発を続ければ33フィート(1フィート30.48cmで約10m)の津波を起こす可能性があることが分かった。10mの津波と言えば、小さな都市を水浸しにするに足るものである。

"Project Seal"という暗号名が付けられたトップ・シークレットの作戦は、核爆弾にも肩を並べられる能力がある最後の審判装置として実験が行われた。
実験中には、約3700発の爆弾が爆発させられた。最初は、ニュー・カレドニアで、次はオークランド近くのWhangaparaoa半島で行われた。

専門家の結論は、1発の爆発では力が足らず、津波爆弾を成功させるには海岸から約5マイル沖合いで、約2メガトン(2 million kilograms)の爆弾が一列に並べて爆発させられなければならないとしている。

この計画は1944に米海軍の将校 E A Gibsonの発見を受けて開始された。
この実験は1945年には中止されたが、ニュージーランド政府は1950年代にかけて報告書を作成していたという。

元記事

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2012年11月26日 Tweet It!

米先住民の領土縮小

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こうやって見ると、開拓ではなく侵略であるのがよく分かりますね。
それも、つい最近に起こったことなのです。
インディアン(先住民)の領土が半分くらいになった1850年より三年後にペリーが日本に現れています。
その後、1860年から1875年にかけて、インディアン(先住民)の生活を脅かすために、バッファローが乱獲され絶滅寸前となっています。
その期間中に、日本では明治維新、明治時代となっています。
最近、縄文時代が野蛮な未開時代ではなく、知性を持ち自然と共存していた時代であったことが分かってきました。
その縄文人と近い先祖を持つインディアンも、アメリカ映画で見るような、野蛮なだけの人たちではありませんでした。野蛮なのは、侵略者=開拓者だったと私は信じています。
posted by 狭依彦 at 21:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月01日 Tweet It!

タイタニックへの疑問

タイタニックの公式ストーリーをめぐる疑問

タイタニックの船長エドワード・スミスは北大西洋を25年以上も航海していて、この海域に関して世界でも最も経験の深いマスターとして認められていた。
しかし、スミスは自分の船が処女航海で沈むことになることをすべて知っていた

雇い主のJ.Pモルガンの秘密の命令で、船長はタイタニックを月の無い夜に80平方マイルに渡る氷山ゾーンを最高速の22マイルで航行させていた
船長の行動は全く普段の振る舞いとは違っていた。
スミスは伝統に従って船長として船と一緒に沈んだが、これは重大なことでありまた都合がよかったことだろう。

タイタニックと一緒に沈んだ乗客のGuggenheim、Strauss、Astorなどは裕福な財産家であり、もし生きていたら連邦準備制度の設立に反対していたと思われる。これらの人が、1517人の他の無関係な人たちの「付随的損害」と共に処理されたわけだ。
なお、Guggenheim、Strauss、Astorたちが準備制度に反対するのは、大衆の苦境を心配してのことではなく、自分たちの利益に連邦準備制度が反するという理由であろう。

元記事

メーコーさんの記事。結構面白そうです。
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2011年07月12日 Tweet It!

皇帝ニコラス二世の殺害

ジェイコブ・シフが皇帝ニコラス二世の殺害を命令した

1918年7月、イルミナティ・ユダヤの銀行家ジェイコブ・シフは米外交チャンネルを通してロシアのボルシェベキに直接命令を送り、皇帝ニコラス二世とその家族を殺させた

この隠された歴史上の事実と、皇帝の家族の殺害の裏にある意思決定の過程がJyri Linaの"Under The Sign Of The Scorpion"に書かれている。

レーニンは皇帝の殺害については口を出すことはできなかった。ボルシェベキはYekaterinburgから急いで逃げださざるを得なかったので、電信のメモをすべては処分する時間がなかった。
これらの電信は後に版権され、Nikolai Sokolovがその調査を1919年に任されたが、電文の暗号を解くことができなかった。
この暗号解読は1922年にパリの専門家によってなされることとなる。
ソコロフはこの電信文は皇帝と家族の殺害に関係しているので非常に意味深いものであるとした。

Jyri Linaはエストニア人であったが現在は「自由な」スェーデンに住んでいる。

元記事

ヘンリー・メーコーさんの記事。
ジェイコブ・シフは日本の歴史でも重要な人で日露戦争の戦費を出しています。
テレビで3年かけてやっている『坂の上の雲』にもその交渉をしたと言われている高橋是清さんが出ていますね。それで見て、結構複雑な経歴に「代理人」ではないかと感じていました。
最後は2・26事件で殺されるわけですから。

明治維新から日露戦争そしてロシア革命、第二次世界大戦までの歴史をイルミナティ史観で通読してみたいです(が、そんなもの日本語ではないでしょうが)
posted by 狭依彦 at 23:12 | Comment(6) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月12日 Tweet It!

リンドバーグ、デモインスピーチ

チャールズ・リンドバーグの1941年9月11日、デモインのスピーチ

ビデオ(音声)

1941年9月11日のアイオワ州デモインでの演説では、イギリス人とユダヤ人がアメリカに連合国側での参戦を働きかけていると述べた。(WIKI)

チャールズ・リンドバーグ(WIKI日本語)

そのように言っています。
英語ですが、リンドバーグの声、ぜひ聞いてみてください。
たぶん、ブーだと思いますが、スピーチの後ろで大きな声が起こっています。
リンドバーグの声は張りがあり、勇気ある気持ちが伝わってくるような気がします。

WIKIの記事を読むと、リンドバーグ必要以上に貶められているような気がしますが、さてどうでしょうか?
WIKIにリンクがありますが、リンドバーグの子供の誘拐殺人については、いろいろな説がありますが、リンドバーグの政治姿勢にたいする脅しであるという見方があります。
posted by 狭依彦 at 22:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月12日 Tweet It!

2058発の核爆弾

1945年-1998年までで2053発の核爆弾が爆発させられた

ビデオ

これは秀逸。
地図の上で、時系列で核爆発が延々と行われます。私は音無しで、1965年くらいまで見ましたが、こんなに核爆発があったのですね。2発以外は実験のはずですが……(私は2発も実験であると思いますが)
posted by 狭依彦 at 21:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日 Tweet It!

チャーチルの戦争犯罪

チャーチルの最も悪質で野蛮な戦争犯罪

1940年から1945年にかけて、英政府による爆撃によってドイツの都市が61爆撃され破壊された。影響を受けた人は2千5百万人にのぼる。
このクラスの破壊は、戦闘員であろうと非戦闘員であろうとおかまいなしに、できるだけ多くのドイツ人の無差別大量殺人を目的としたものである。
この爆撃は報復攻撃を招き、6万人の英国人が死亡し、8万6千人が負傷した。
英米は、また、フランスも爆撃して、その結果6万人の非戦闘員が死亡した。

元記事

ドイツがロケット弾などを使い一方的にイギリスを攻撃したように思っていましたが、違うようですね。
posted by 狭依彦 at 21:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月21日 Tweet It!

広島

史上最大のテロリスト・アタック:広島



英語ですが、内容は分かるでしょう。
鬼塚英昭先生の著作を読んで、どんなテロ攻撃であったかを、勉強しましょう。
posted by 狭依彦 at 22:18 | Comment(3) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月18日 Tweet It!

歴史は繰り返す

シュトラウスとホーは近代史が80年から100年の世代パターンの繰り返しになることに気づいた。
(1)20年から25年は質がよい高揚期(第一ターニング)
(2)目覚め(第二ターニング)
(3)白紙に戻る(第三ターニング)
(4)危機(第四ターニング)
二人はさらに、80年から100年のサイクルで、必然的な位置を占める4つの原型を洗い出した。
(1)Prophets 予言者
(2)Nomads 放浪者
(3)Heroes 英雄
(4)Artists 芸術家
時代を超える繰り返しのダンスの中で世代が歴史を作り出してゆくことで、歴史はある世代を形作る。
この原型は常に同じ道をたどる。
例をあげると、予言者の原型は常に、高揚(第一ターニング)に生まれ、覚醒の時期に成人し、リセット期に中年に入り、危機の時代に老年期を過ごす。

アメリカの歴史での3つのサイクル

CIVIL WAR SAECULUM (南北戦争)
Era of Good Feelings  (1794-1822)
Transcendental Awakening (1822-1844)
Mexican War & Sectionalism (1844-1860)
 Civil War (1860-1865)

GREAT POWER SAECULUM (大きな力)
Reconstruction & Gilded Age (1865-1886)
Third Great Awakening (1886-1908)
World War I & Prohibition (1908-1929)
Great Depression& World War II (1929-1946)

MILLENNIAL SAECULUM (ミレニアム)
American High  (1946-1964)
Consciousness Revolution  (1964-1984)
Culture Wars (1984-2005?)
Millennial Crisis? (2005?-2026?)

例えば、最後のアメリカのに当てはめると。


 幼年青年中年老年
高揚期(1946-1964) 予言者  放浪者  英雄  芸術家 
意識革命(1964-1984)  芸術家  予言者  放浪者  英雄 
カルチャー戦争(1984-2005?)  英雄  芸術家  予言者  放浪者 
千年紀の危機(2005?-2026?)  放浪者  英雄  芸術家  予言者 


元記事

陰謀論をとるようになってから、文明論とかは考えないようになったのですが、世代=ジェネレーションの違いというのはよく考えることがあります。

こんなのを読んでいると、やはり今は大きな危機または変革の時代にあるのだなと感じます。
posted by 狭依彦 at 07:33 | Comment(1) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月13日 Tweet It!

ナチシオニスト記念メダル

ロスチャイルド・シオニストとナチスのコラボレーション

シオニストは、メディアを全面的に支配して、われわれの大部分にナチスが悪い奴だと確信させることに成功したが、実際のところは、シオニストの指導部とナチスは親友なのだ。
この記事の最後に、有名なZIONAZI MEDALの写真をあげておく。これはナチスのゲッペルスが友情を記念して彫らせたものだ。
ユダヤ人やドイツ人の多くが、今でも、このメダルを持っている。

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元記事

この記事を受け入れ、認めた人は、シオニストになるのでしょうか、それともネオナチになるのでしょうか?
posted by 狭依彦 at 21:14 | Comment(1) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日 Tweet It!

ベンガル大虐殺

メディアはチャーチルの犯罪について嘘をついている

チャーチルは第二次世界大戦で指導的立場にあったのでわたしたちの英雄である。しかし、チャーチルのおびただしい犯罪、特に第二次世界大戦ベンガルホロコーストはアングロアメリカンとシオニストの虐殺否定者によって歴史から削除されている。この虐殺は1943年から1945年にかけてインドのベンガルで起こった飢饉で、チャーチルによって六百万人から七百万人のインド人が殺された。

元記事

英語ですがチャーチルの戦争犯罪が15列挙されています。
その100年ほど前のセポイの乱でもインド人一千万人以上が殺されているという話を最近訳しました。

http://icke.seesaa.net/article/114129099.html
posted by 狭依彦 at 23:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月22日 Tweet It!

ソ連はイルミの実験

ソビエト連邦−イルミナティの実験は「社会の崩壊」

わたしたちは世界単一政府に向かってジリジリと進んでいるが、そんなとき、イルミナティ最後の大きな社会実験であるソビエト共産主義を思い起こすのもよいだろう。
共産主義はJuri Linaが「社会の崩壊」として描いているものだ。
Lina氏はエストニアの作家であるが、自著の『Under the Sign of the Scorpion』(2002)で、イルミナティ(メイソンユダヤ)銀行カルテルに支援されたボルシェベキ革命の結果、1億5千万人が死んだと書いている。西側はボルシェベキに反対するふりはしていたものの、実際にはボルシェベキを擁護していて、第一次大戦のわれわれの同盟国であった白系ロシア人を裏切った。
ボルシェベキは西側の干渉がなかったら、負けていたはずなのだ。

中国の共産主義では、さらに6千万が殺されている。
これらの悪魔的政権は、ウインストン・チャーチルの言葉では「国民を髪をつかんで捕らえており」、残忍に2つの進んだ文明を破壊したのだ。
イルミナティの中央銀行家は、まだ、世界を動かしている。もし、「過ぎたことが序章であれば、わたしたちは同じように残忍に扱われるようになるのだろうか?
なぜ、わたしたちは口をつぐませられ、堕落させられ、矮小化されているのだろうか?

元記事

メーコーさんの文章です。
posted by 狭依彦 at 22:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日 Tweet It!

ワイマールとライヒバンク

ヒトラーの国際的借金奴隷からの解放

狭依彦の覚え

ヒトラーが英米の国際金融勢力に資金援助されていた記録はかなり残っている。

ベルサイユ条約後、ワイマール体制下で、ドイツはハイパー・インフレーションに見舞われることになる。
教科書的な歴史では、社会民主党の金融上の失政のように書かれているはずだ。
しかし、Schachtの"The Magic of Money"(1967)に、経済に新通貨を大量に投入したのは、当時のドイツ政府ではなく、私企業であるライヒ・バンクであり、ライヒ・バンクがインフレを起こしたとある。
ライヒ・バンクには、日本の日銀の重鎮一万田氏が戦前に留学していて、その金融政策を学んだはずだ。

元記事

世界史は苦手で、ダメですが、上述したような観点から分析された日本語の書籍(なんて、あるはずないか!?)が読みたいものです。
posted by 狭依彦 at 23:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第二次世界大戦独死者

ドイツ人1100万人が第二次世界大戦後に殺された

"Gruesome Harvest"という本によると、第二次世界大戦後の1944年から1950年の間に、ドイツの非戦闘員の市民と戦争捕虜あわせて1100万人が殺されたという。

連合軍の政策は、ドイツの人口を減らそうというもので、奴隷労働、飢餓、女性を大量レイプすることによって社会基盤を破壊する、などのものであった。

4百万人は、ロシア、ポーランド、チェコ、セルビア人などによるエスニック・クリーンシング(民族浄化)によって殺された。

5百万人が占領下ドイツで飢え死にした。これは、カナダ人James Bacqueの計算による。
2百万人のドイツ兵捕虜が連合軍に囚われている間に、アウシュビッツのような状態下での奴隷労働で死亡した。

元記事

これまで、ヒトラーが死んで、ベルリンが陥落してからのドイツの歴史は、分断の歴史だけはちょっと頭にあるけれど、1100万人が死んだというのは、にわかには信じられませんね。
このサイトにも、ドレスデン空襲で50万人以上が死んだなどの話はあります。

ドイツの歴史はよく知らないのですが、第二次世界大戦後、日本と同じように「代理人」が活躍して、「小便壺」(アイクの用語)にされてしまったのでしょうか?
posted by 狭依彦 at 22:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月07日 Tweet It!

ボルマンはソ連スパイ

ボルマンがヒトラーをイルミナティに走らせた

ナチドイツで権力の二番目の男、マルチン・ボルマンは「ソビエト」(すなわちイルミナティ)のエージェントで、ドイツとヨーロッパのユダヤ民族両方の破滅を請け負っていた。
それゆえ、ボルマンはイルミナティの2つの主要目的を推し進めた。一つは、ドイツの国家的、文化的、人種的な自負を滅ぼすことによってドイツを世界政府の一部に組み込むこと。もう一つは、ヨーロッパのユダヤ人を絶滅させると脅すことによって、メーソン銀行家の世界首都としてイスラエルを設立することだ。

元記事

ソビエト=イルミという図式を理解できないと、この文章は良く分かりませんね。
posted by 狭依彦 at 22:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月16日 Tweet It!

ホロコーストの条件付け

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アメリカの学校で子供時代に強いホロコーストの条件付けを受けている私達の多く、もしくは一部にとって、一年に数度第二次世界大戦の古いフイルムで数千、数百の死体が積み重なっているのを見るのが通例だった。
我々は、その死体は殺害されたユダヤ人で、大部分がナチスによって毒ガスで殺されたと教えられている。
私は9歳か10歳の時、1970年代初期にはじめてこの映画を見たと記憶している。

元記事

写真と元記事とは関係ないようで、
写真には、次のように書かれています。

ホロコーストの歴史家はトレブリンカはガス室で87万人のユダヤ人が殺された死の強制収容所であり、ユダヤ人は集合墓地に埋められたと主張している。
1999年に、電気技師のリチャード・クレゲが地面をハイテクで調査した。
(ちょっと省略)
その結果、トレブリンカとベルゼックと呼ばれる地域には集合墓地は存在しなかったことが判明した。

元記事にクイズがあります
1.第二次世界大戦で殺された中国人は何人?
2.第二次世界大戦で殺されたロシア人は何人?
3.第二次世界大戦で殺された米国人は何人?
4.第二次世界大戦で殺されたユダヤ人は何人?

米国人が、何も見ずに答えられるのは4番だけらしいです。

5.第二次世界大戦で殺された日本人は何人?

5を付け加えたとして、やはり、日本人が答えられるのも4番だけかな?
いやいや、それはありません♪〜♪〜♪♪♪
posted by 狭依彦 at 22:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月12日 Tweet It!

セポイの乱

大英帝国はインドで一千万人以上をホロコーストで殺した

インド暴動に関する新たな歴史は物議をかもしている。暴動は150年前に起こり、19世におけるヨーロッパの権力に対する最大の挑戦であると考えられている。
その中で、英国は自分たちに反抗して立ち上がろうとする人たち数百万人を根こそぎにしようとする、10年以上にも渡る死の攻撃を行っていた。

元記事

これは日本ではセポイの乱として知られています。
私達の世界史では、名前だけで、何人が殺されたとか教わっているはずはないですわな!
wiki日本語では、ヨーロッパの権力に対する挑戦とはとらえていないようですね。

1857年から1859年
日本が、誰かさんの勢力によって揺り動かされはじめた時ですね。
posted by 狭依彦 at 21:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドレスデン爆撃

ドレスデン

ドイツ−1945年2月13日、戦争は終わった。ドイツは負けたのだ。
ドレスデンはソビエトの殺人やレイプを逃れた多数の人でいっぱいだった。その非戦闘地区の美しい都市ドレスデンに、英米の爆撃機は何の警告もなく、軍事的な理由もなく、焼夷弾を3300トン以上も雨のように降らせた。
爆撃は巨大な炎の嵐となり、生きながら焼かれた人たちは50万人以上にのぼる。これは、一回限りの虐殺では史上最大のものであった。
ドレスデンで虐殺された人の数は、広島と長崎を合算したものより多かった。
避難したドレスデン動物園の職員は、後に、自分が見捨ててきた象たちの身の毛もよだつ叫び声について書いている。
ドレスデン。忘れてはならない。

Drs.jpg

日本人は広島、長崎、東京、沖縄、その他を忘れてはいけないでしょうね。
ちゃんと、誰がそれを引き起こしたかも、本当のことを発掘してね。
それが、なんか良い方法で、後の世代に受け継げるといいのですが……
posted by 狭依彦 at 21:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月24日 Tweet It!

ウクライナの虐殺

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ウクライナはヨーロッパの穀倉地帯でした。この国のほとんどの国民はキリスト教徒でした。
1932年に、ウクライナは残酷な共産主義政権であるソ連から独立しようとしました。すると、独裁者スターリンに率いられたユダヤ・ボルシャベキ政権は赤軍を送り込み、ウクライナの穀物を没収し手に入らないようにしてしまいました。そして、ウクライナの国境は封鎖されました。
食糧は全く入ってこず、誰もそこから逃れることはできませんでした。その結果、口にできないほどの恐ろしいことが起こりました。

この人口の飢饉の2年間で、1千万人の国民と家畜たちが非人間的な苦痛の中死んでゆきました。
スターリンは、映画を何本か作り、世界の国々に、ウクライナには何の問題も起こっていないことを信じさせました。
2,3千万の人々が飢えさせられたり、銃で撃たれたりしました。革命の終わりです。
今、やっと、このシオニストが引き起こした虐殺が語られるようになったのです。

食糧を武器とする。これは、今でも、起こることです。
posted by 狭依彦 at 14:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月01日 Tweet It!

ナチの墓場発見

ブラジルからの最初の少年たち:アマゾン熱帯雨林の奥深くで発見されたナチの墓場

アマゾンの熱帯雨林で、ヒトラーの狂信を広め「外地の祖国」を作ることに熱中していた元ナチスの墓場がブラジルで発見された。
この遺跡は1930年代にドイツから何千マイルも離れた場所で支配民族を作り出そうという向こう見ずな計画を示している。
狂信的なナチスが残した墓場などの遺跡は新作の本に年代順に記録されている。この本は「Guayana-Projekt・アマゾンにおけるドイツの冒険」と題されている。
同書によると、自分たちの信念に執着していたナチスは、自分たちはアメリカ西部の開拓者のように世界に定住する運命にあると信じていた。

元記事(1930年代の写真と発見された墓場の写真があります)

いつ発見されたかは書いてありませんので、たぶん、本の紹介記事でしょう。
1930年代のブラジルに行ったナチスの写真やポスターがいくつか紹介されています。なかなか興味を引かれる写真です。
下から2つ上の弓を構えているのが1930年代の映画のポスター。
最後のカラーの山の写真が、遺跡が発見された山。
posted by 狭依彦 at 22:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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