2008年09月30日 Tweet It!

B・フリードマン・スピーチ(8)

この記事は(7)から続きますが、カテゴリ「近現代史」で連続して読めます。

ユダヤ人についての真実は何なのでしょうか?私は皆さんにユダヤ人という言い方をします。彼らは「ユダヤ人」と呼ばれていますから。
でも、私自身はユダヤ人とは呼んでいません。私は「いわゆるユダヤ人」と言っています。それは、彼らが誰であるかを知っているからです。
東欧のユダヤ人は自分自身を「ユダヤ人」と呼ぶ世界中の人々の92パーセントを占めていますが、彼らの出自はカザール人なのです。
カザール人はアジアの真ん中に住んでいた好戦的な種族です。あまりにも好戦的なため、アジア人がアジアから東欧に追いやったのです。
カザール人は80万平方キロという広大なカザール王国を打ち立てました。
当時は、ロシアはありませんでしたし、他のヨーロッパ諸国もほとんどが存在していませんでした。
カザール王国はヨーロッパ全土でも最大の国でした。他の国の君主が戦争をしようとするとき、カザールはそれらの王に4万人の兵士を貸し出したといわれているほど強大な国だったのです。

カザールは男根崇拝の民でした。汚らしいことで、今は、詳細には触れたくありません。しかし、それは彼らの宗教で、多くの異教徒や野蛮人は世界中のあちこちで同じような宗教があったのです。
カザールの王は自分の国の堕落がいやになり、いわゆる一神教を導入しようと決意します。キリスト教、イスラム、現在ユダヤ教と呼ばれているもの(実際はタルムード主義でしたが)、どれでもよかったのです。
「イー、ミー、ミネイ、モー」と叫びながら、コマを回して、王はいわゆるユダヤ教を選びました。ユダヤ教は国教となったのです。
王はプムベディタ(Pumbedita)とスーラ(Sura)のタルムード学校に人を派遣して、数千人のラビを招聘し、シナゴーグや学校を開設しました。国民はいわゆる「ユダヤ人」になったわけです。

カザールには一人として聖地エルサレムの土地を踏んだ者はありません。それは旧約聖書の歴史でも、この世の初めに戻ってもです。一人もないのです!
それにもかかわらず、ユダヤ人はキリスト教徒のところにやってきて、パレスチナの武装暴動を支援するように要求するのです。「キリスト教徒は神に選ばれた民を約束の地に送還したいでしょう。祖先の土地にですよ。それはキリスト教徒の義務ですよ。われわれはわれわれの少年の一人をキリスト教徒の救世主として与えたではないですか。キリスト教徒は日曜日に教会に行って、一人のユダヤ人にひざまづき祈るじゃありませんか。そして、われわれがそのユダヤ人なのですよ。」

しかし、彼らは転向した異教徒のカザールなのです。それは、アイルランド人が転向したのと同じです。
カザールが自分たちを「聖地の民」と呼ぶのはとてもおかしなことでしょう。それは、5400万人の中国のイスラム教徒を「アラブ」と呼ぶようなものです。
モハメッドは西暦640年に亡くなりました。その後、5400万人の中国人が信仰としてイスラム教を受け入れました。考えて見てください。メッカとモハメッドの生地アラビアから二千マイルも離れた中国ですよ。そこで5400万人の中国人が自分たちを「アラブ」と呼ぶことにした。そんなのは狂気以外じゃないでしょう。この5400万人の中国人がアラブだなんて信じる人は気が狂っていますよ。彼らはアラビアのメッカ発祥の信仰を宗教として受け入れただけなのです。
同じことがアイルランド人にも言えます。アイルランド人がキリスト教徒になったとき、誰も彼らを海に叩き込んで、新しい住民として聖地エルサレムに送り届けようとはしなかったでしょう。アイルランド人が別の人種になった訳ではないのです。同じ人種のままで、ただ、キリスト教を宗教として受け入れただけなのです。

これらのカザール、異教徒、アジア人、トルコ−フィンはモンゴル人種で、アジアを追い出されて東欧に来たのです。彼らの王がタルムード信仰を選んだからです。それについてはカザール人は他の選択肢はなかったのです。
スペインでも同じことがありました。王がカソリックであれば、国民はすべてカソリックである必要があったのです。カソリックでないなら、スペインを追い出されます。
このようにして、カザールは、今日の「ユダヤ人」になったわけです。

さて、世界中でも最大のキリスト教国アメリカ合衆国が「われわれの力と威信にかけて神の選民を約束の地である先祖の土地へ送還しよう」と言うのはばかげているでしょう。
これほど大きな嘘があるでしょうか?
しかし、彼らは新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、出版界を支配してますし、説教壇の聖職者もいますし、壇上にのぼって同じ言葉を語る政治家もいますから、その嘘をアメリカ国民が信じるのもそれほど驚くべきことではないのです。
何度も何度も聞かされていたら、黒も白と信じるようになるでしょう。もはや黒を黒と言わないようになり、黒を白と言い出すわけです。
誰もあなたを非難できない。
これこそが歴史上での大嘘の一つなのです。これこそが世界に降りかかっている惨事すべての源なのです。

皆さんはユダヤ人がキリストの贖罪の日に何をするか知っていますか。それを皆さんはユダヤ人にとってとても神聖なことのように思っているのです。
私もユダヤ人でした。だからこれは聞き伝えではありません。私は、民衆扇動家としてここに立ってるのではありません。皆さんに真実を伝えるためにここにいます。
キリストの贖罪の日に皆さんがシナゴーグに入って行くなら、自分が唱える最初の祈りの文句を守るでしょう。これこそが、あなたが拠って立つ唯一の祈りの文句です。あなたはコル・ニドレイという短い祈りを三回唱えます。

この祈りのなかで、全能の神と契約を交わします。その契約は、これからの一年間であなたが交わす誓約、誓いや公約は無効で意味のないものだというものです。
誓約は誓約ではない。誓いは誓いではない。公約は公約ではないのです。それらは効力も発効もないのです。
さらに、タルムードの教えでは、あなたが誓約、誓いや公約を交わすときはいつでも、キリストの贖罪の日に唱えるコル・ニドレイを思い出して、誓約、誓いや公約を実行することを免除されているのです。
どうです、皆さん、ユダヤ人の誠実さにどれだけ信頼をおけるでしょうか?ドイツ人が1916年に信頼を置いた程度にはできるかもしれません。
しかし、ドイツと同様の理由で、ドイツが味わった運命をアメリカも味わうことになるのです。

終わり

the Jews of the worldを「世界のユダヤ人」ではなく「国際ユダヤ人」と訳し直しました。

カザール論が出てきます。このスピーチは1961年にアメリカで行われたものです。
日本ではアーサー・ケストラー(WIKI)の"The Thirteenth Tribe"(1976年)を宇野正美さんが1990年に『ユダヤ人とは誰か : 第十三支族・カザール王国の謎』として訳したものが最初でしょう。
ケストラーはこの本を出したために殺されたとも言われますが、WIKIではケストラーとカザールについては全く触れていませんね。


元記事(記事のスクリプト)

ベンジャミン・H・フリードマン WIKI(英語) スピーチのオーディオファイルへのリンクあり

このスピーチを行った人はユダヤ人です。(1)に紹介があります。


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2008年09月28日 Tweet It!

B・フリードマン・スピーチ(7)

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というのは、現在、アメリカは第三次世界大戦勃発の危機にあります。そして、われわれはその戦争の勝者になれないかもしれないのです。私はこのように想像すると動揺してしまいます。
核爆弾はメガトンという単位が使われます。1メガトンはTNT火薬相当で百万トンになります。
アメリカの核爆弾は、開発当時、10メガトンつまりTNT火薬では100億トンでした。現在は200メガトンのものが開発されています。
ソ連が何メガトンの核爆弾を持っているか誰にも分からないのです。

われわれが、今、直面しているのはいったい何なのか?
核戦争につながる世界大戦の引き金が引かれてしまえば、人類はおしまいなのです。
どうやって、そんな最終戦争が起こるのでしょうか?
それは第三幕のカーテンを開くことで起こるでしょう。第一幕は第一次世界大戦、第二幕は第二次世界大戦、第三幕は第三次世界大戦です。
国際ユダヤ人、シオニストそしてどこにでもいる信仰を同じくする者たちは、再びアメリカを使って、パレスチナナを永久に自分たちのものとして確保し、彼らの世界政府の足がかりとしたいわけです。
そのことは、今ここに、私が立っている、それと同じように確かなことなのです。それを読み取るのは私だけではなく、ここにおいでの多くの方も読み取っておられるでしょうし、世界中で知られていることなのです。

私たちはどうしたらよいのか?
あなたが助ける命は、あなた自身の子供の命かもしれません。あなたの息子たちが、今晩、その戦争への道を歩んでいるのかもしれません。
皆さんはご存知でしょう、1916年にロンドンでシオニストたちが英国戦時政府と取引をして、あたたたちの息子をヨーロッパ戦線に行かせたことを……
果たして、1916年当時にそのことを分かっていましたか?アメリカ人で分かっていた人は一人もなかったでしょう。それを知ることが許されていなかったじゃないですか。
誰が知っていたかって、ウイルソン大統領です。ハウス大佐も知っていました。その他のインサイダーも知っていました。

私はどうかって?
かなりのところ、何が起こっているか、分かっていました。
ウイルソン大統領が選ばれた1912年の選挙キャンペーン当時、私はヘンリー・モルゲンソー卿の連絡係でした。その事務所あたりではいろいろな話がありました。私はフランス委員会の議長であったヘンリー・モルゲンソー卿にとって「信頼できる男」でした。
また、私はモルゲンソー卿と会計係のロロ・ウエルズとの間の連絡係でもありました。
だから、私はウイルソン大統領と一緒に会議に出ていました。そこでは、私や他の参加者は彼らが、ウイルソン大統領の脳みそに、増税や、後に連邦準備制度となるものを叩き込んだり、シオニスト運動を吹き込むところを聞いていました。
ブランダイス最高裁判所判事とウイルソン大統領はこの手の2つの指ほどに近しい関係でした。
ウッドウロウ・ウイルソン大統領は、何かを決断することにおいては、赤ん坊のように無力でした。それが、皆が眠っている最中に、彼らがアメリカを第一次世界大戦に参戦させたやり方なのです。
彼らは、われわれの息子たちを殺されるためにそこへ行かせました。
何のために?
ユダヤ人たちが自分たちの「祖国」としてパレスチナを手に入れるためです。
彼らはアメリカを騙し続けているので、アメリカがどこに向かっているのか、みなさんは分からないということなのです。

今では、裁判官が陪審員に向かって、「陪審員のみなさん。嘘を一つでも言っていると思う証人に対しては、その証人の証言すべてを無視することができます。」
みなさんがたがどの州からいらっしゃったのかは分かりませんが、ニューヨーク州では裁判官が陪臣にそのように宣言します。
もし商品が一つでも嘘を言っているのなら、その証言を無視しなさい。」

(8)へ続く
posted by 狭依彦 at 19:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月21日 Tweet It!

B・フリードマン・スピーチ(6)

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シュトラウスというユダヤ人が経営していたR. H. Macyチェーンの一店舗で、女性が、「メードイン・ジャーマニー」の印があるケムニッツ産のコットンのストッキングを見つけました。
綿のストッキングで、20年以上その店で扱われていたものだったんです。私は長年女性の脚を観察していましたし、初めて女性の脚をストッキングが包んでからは長い時間がたっていたのです。
私はMacyのボイコットを目撃しました。「殺人者」「ヒトラー主義者」などのプラカードを掲げて、何百人もの人が店の周りを行進したのです。
しかし、こんなことが行われている時でも、ドイツでは、それまでにユダヤ人の髪の毛一本さえも傷つけられてはいませんでした。
苦痛も、飢餓も、殺人も、何もなかったのです。

ドイツ人なら当然次のように言うでしょう。「われわれに対してボイコットを宣言して、ドイツ国民を全部失業に追いやり、ドイツ産業を行き詰まりに追い込んだのは、そんな奴らは誰なんだ?」
ドイツ人は当然ながら恨みを持ちました。
ユダヤ人店主の店にスワスティカを落書きしたのですね。
ドイツ人なら、どうして、自分たちの国を飢えさせ、国際ユダヤ人たちに降伏させるようなボイコットをする側の店に行き、そこの店主にお金を払うでしょうか?
また、そのユダヤ人たちがドイツの首相を誰にするかまで指図しようとしているのです。
そうでしょ、おかしなことですよね。ボイコットは1938年までしばらくの間続きました。1938年にはポーランド出身のユダヤ人の若者がパリのドイツ大使館に入り込みドイツ職員を銃撃するという事件が起こりました。この事件こそがドイツ人がドイツのユダヤ人にひどい扱いをする端緒となったのです。
みなさんご存知でしょう。窓ガラスを割ったり、街頭闘争、などなどが起こったのですね。

私は「反セミズム」という言葉は嫌いです。意味がないからです。しかし、一般的にはいまだに何らかの意味があるので、私はこの言葉を使わざるを得ません。
ドイツの反ユダヤ感情のたった一つの理由は、ユダヤ人が第一次大戦の敗北に関係していたことと、この世界規模のボイコットがあったからなのです。それだけ。
詰るところ、ユダヤ人は第二次世界大戦にも関わっています。
このように、状況が収拾のつかないところまでゆくと、ユダヤ人とドイツは戦争で角を突き合わせて、どちらが勝つか決める必要があったからです。
ところで、私はドイツで暮らしたことがあります。当時、ドイツ人はヨーロッパがキリスト教でゆくのか共産主義になるのかを決心しなければなりませんでした。どっちつかずでは居られない。そして、ドイツ人は出来うるならキリスト教徒のままでいようと決めたのです。
それで、再軍備を開始したのです。
1933年11月、アメリカ合衆国がソ連を認知しました。ソ連はたいへん強くなってきていたのです。ドイツは「われわれが強くなければ、すぐにわれわれの番が回ってくる」と認識しました。
同じことが、今のアメリカでも言えますね。「われわれが強くなければ、すぐにわれわれの番が回ってくる」
米政府は防衛費に83-4億ドルも支出しています。
誰に対しての防衛ですか?
ロシアを支配しているモスクワの4万人弱のユダヤ人に対する防衛ですよ。そして、彼らのずるいやり方で、世界の多くの国々の支配権を乗っ取っているのです。

(7)へ続く

キリスト教と共産主義の対立。これなどは、この文章の解説で述べられている「古いところがある」というところでしょうか。
「ロシアを支配しているモスクワの4万人弱のユダヤ人に対する防衛」と言っていますね。アメリカの公式見解は「民主主義に対する共産主義の脅威」でしょうね。
このような文章を読む場合の注意として、ユダヤ人と出てきたら、全部を指すのか、エリートの一部を指すのかを補いながら読むことでしょう。
posted by 狭依彦 at 10:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月19日 Tweet It!

B・フリードマン・スピーチ(5)

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背景を時系列で述べましょう。
1918年から1919年にかけて、共産主義者が数日間ババリアの支配権を得ました。ローザ・ルクセンブルグ、カール・リープクネヒトなどのユダヤ人が政府を三日間支配したのです。
実際のところ、カイザー(皇帝)は戦争を終わらせてから、オランダに避難していたのです。ロシアであったように、共産主義者がドイツを乗っ取り、カイザーはロシアのツアーと同じ運命が待っている思っていたからです。だから、安全を確保するためにオランダに逃がれていたわけです。
ドイツでの共産主義者の脅威が鎮圧された後でも、ユダヤ人はまだ活動を続けていて、以前の立場を取り戻そうとしていました。
ドイツ人は出来る限りの方法でユダヤ人と戦っていました。でも、ドイツ人はユダヤ人の髪の毛一本損なうことはありませんでした。
それは、ちょうどアメリカで、禁酒主義者がお酒に興味を持つ人々と戦っていたのと同じようなものでした。ドイツ人とユダヤ人はピストルで戦うことはなかったのです。これこそがドイツ人がユダヤ人と戦ったやり方でした。
それでも、ユダヤ人はすべての報道機関を支配しており、経済の大部分を支配していたのです。それは何故かというと、ユダヤ人はマルクが切り下げになった時、安いお金を持ち込んで、実質的にすべてのものを買い占めていたからです。

ユダヤ人はこの事実を覆い隠そうとしました。自分たちがドイツを裏切ったことを、世界の人々に知らせたくなかったからです。
ドイツ人はそのことに怒りを覚えました。

ドイツ人たちはユダヤ人に対してしかるべき行動をとりました。ドイツ人は、そうですね、それが可能な場所ではどこでも、ユダヤ人を差別するようになったのです。ユダヤ人を避けたのです。
ちょうど、アメリカ人が、中国人、ニグロ、カトリック教徒などアメリカにいてアメリカを敵に売り渡し、われわれに敗戦をもたらすような人たちを避けるようなものです。

しばらくして、国際ユダヤ人はアムステルダムで会議を開きました。1933年7月世界中の国からユダヤ人が会議に集まりました。
会議では、ドイツに対して、「ヒトラーを辞めさせろ。ユダヤ人すべてを元の地位に戻せ。それは、共産主義者であろうが、どんな人であろうがユダヤ人全部だ。ユダヤ人をこんなふうに扱っていいのか。そして、われわれ世界中のユダヤ人は、あなたたちドイツ人に最終通告をする」
ドイツ人がどのような返事をしたか想像できますか?そして、ユダヤ人が何をしたか?

1933年、ドイツはアムステルダムの世界ユダヤ会議に降伏することを拒否しましたが、同時に会議は解散しました。
そして、アメリカのユダヤの代表であり、会議全体の議長でもあったサミュエル・アンターマイヤー氏はアメリカに帰ってきました。同氏は、汽船から降りるとコロンビア放送のスタジオに直行して、米国全土に向かってラジオ放送を行いました。
放送では「世界中のユダヤ人がドイツに対して、今、聖戦を宣言します。われわれは、今、ドイツ人に対して聖なる戦いを行っています。そして、ドイツが降伏するまで、ドイツを飢えさせてやりしょう。ドイツは輸出に依存していますから、われわれの聖戦はドイツをつぶすでしょう。」

実際、ドイツの食糧の三分の二が輸入されていました。この輸入は、輸出で得た利益だけ頼るものだったのです。だから、ドイツが輸出できないとなると、ドイツ人の三分の二が飢えることになります。ドイツには人口の三分の一を養うだけしか食糧がありませんでした。
さて、この聖戦宣言を私は今ここに持っています。1933年のニューヨーク・タイムズの記事です。
サミュエル・アンターマイヤー氏は次のようにはっきりと言い放ったのです。「この経済ボイコットはわれわれの自衛手段であります。ルーズベルト大統領も国家復興政府でこれを支持しています。」
覚えておられる方もあるでしょうが、当時、国家復興政府では、ニューデールによって決められた規則に従わない、もしくは最高裁判所で憲法違反と宣告されない限りは、誰でもボイコットされることはなかったのです。
それにもかかわらず、国際ユダヤ人たちはドイツに対してボイコットを宣言したのです。
ボイコットは大変効果があり、「メードイン・ジャーマニー」と書かれた製品は世界中のどこの店でも一点たりとも見つけられないほどでした。
実際、私がウールワース株式会社の重役に聞いた話では、同社は数百万ドル相当の陶器やお皿を川に投げ捨て、店にやってきたお客が「メードイン・ジャーマニー」の文字がついた皿一枚でも見つけたりしたら、店はボイコットされたそうです。南部では、店の前で、「ヒトラー」「殺人者」などなどのプラカードを持った人たちがピケを張り、座り込みデモのようなことがあったようです。

(6)へ続く
posted by 狭依彦 at 21:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月18日 Tweet It!

B・フリードマン・スピーチ(4)

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この裏切りは、次のような状況を仮定してみるとよく理解できるでしょう。
アメリカがソ連と戦争をしているとします。
アメリカが勝っている。そして、アメリカはソ連に次のように言います。「さあ、もう戦争を止めましょう。和平条項は次のようにしましょう。これまでのいきさつはすべて水に流しましょう。」
そこへ、突然、中国がソ連の同盟国として参戦してきます。この中国の参戦によって、私たちアメリカは敗戦に追い込まれます。惨敗で、賠償金は人間が想像できないような額で一国が支払い切れないような額です。
そこでですね、この敗戦の後に、次のようなことに気がついたとしたら……
アメリカにいる中国人、中国系市民が敗戦の原因だった。中国系市民がアメリカ人と一緒に忠実に仲間として暮らしてきたとのアメリカ人は思っていたのに、実は、中国系市民はアメリカをソ連に売り、中国系市民を通して、共産中国が対アメリカ戦争に参戦したのでした。
想像できます?
アメリカでは、中国系市民に対してどんな気持ちになるでしょうね?
私は、中国系市民が顔をさらして通りを歩けるとは思えませんね。彼らを可愛がってあげるために、都合のよいような街灯の数が足らないんじゃないですか。
私たちがどんな気持ちになるか想像してみてください。

そうです、これこそがドイツ人がユダヤ人に対して感じたことなのです。
ドイツ人はユダヤ人に大変良くしていました。1905年にロシアで最初の共産主義革命が失敗した後、ユダヤ人たちはロシアから急いで逃げなければならなかったのです。ユダヤ人たちは皆ドイツに向かいました。
ドイツはユダヤ人を受け入れ、非常に親切に扱ったのです。
そんなところに、ユダヤ人はいわゆる「ユダヤ国家」としてパレスチナが欲しかったというだけのために、ドイツを売り、川の中に投げ込んでしまったのです。

今日、シオニズム関係の本を読むと出てくる、Nahum Sokolow(ネーハム・ソコロワ)や偉大な指導者、有名人たちは1919年から1923年の間に彼らの新聞すべてに書いていますし、出版物には彼らのコメントが満載されています。それは「ドイツのユダヤ人に対する反感の原因は、アメリカを参戦させる仲立ちをしたユダヤ人によってドイツの敗戦がもたらされたのだとドイツ人が認識したことである」ということです。
ユダヤ人自身がそれを認めていたのです。
ドイツ人は、1919年になって初めて、ユダヤの血はコカコーラやムンスタービールより苦い味がすることを発見したのです。
宗教的な感情などは無かったのです。ユダヤ人の宗教的信条に反発したためだけでユダヤ人に対して悪感情を持ったのではないのです。
ドイツ人の悪感情はすべて政治的なもの、経済的なものだったのです。
宗教的なものでは絶対になかったのです。
ユダヤ人が帰宅して、ブラインドを降ろし「シェマ・イスロエル(わが父よ)」と言おうがどうしようが、ドイツでは気にする人は一人もいなかったのです。アメリカと同じことだったのです。
そして、後の時代にドイツで広まった悪感情の原因はたった一つ。ドイツ人がドイツの惨敗がユダヤ人のせいであると認識していたことです。

また、ドイツに対して始められた第一次大戦自体が、ドイツの責任では無かったのです。有罪理由なし。ただ、ドイツが成功していたことが原因でしょうか。ドイツは大艦隊を建造しました。世界貿易を始めました。
ドイツがフランス革命の時代には、300もの小国がばらばらに存在していただけ。それがナポレオンからビスマルクの時代に1つに統合されました。そして50年で世界で一番強国となった。
ドイツ海軍はイギリス海軍と張り合うようになり、世界中で商売をして、誰に対しても値引き販売をすることができて、質の良い製品を製造できた……
その結果何が起こったのでしょうか?

イギリス、フランスとロシアの間にドイツを引き摺り下ろす陰謀が芽生えました。この3国がドイツを地図上から抹消してしまえと決心した妥当な理由を示すことができる歴史家が世界に何人いるでしょうか?一人もいないでしょう。

ドイツがユダヤ人に敗戦の責任があると認識したら、当然、ドイツ人はそれを恨みました。
しかし、ユダヤ人は髪の毛一本も危害を蒙ることはありませんでした。
髪の毛1本さえもですよ。
ジョージタウン大学のTansill教授は、国務省の機密書類を全部読み、次のように本に書いています。
コーデル・ハルが1933年にHugo Schoenfeltというユダヤ人をヨーロッパに派遣し、政治犯の収容所を調査させました。Schoenfeltは国務省に文書を残しており、「政治犯は非常に良い状態である。体調もよく、皆がよい待遇を受けている。収容所は共産主義者で一杯である」とあります。
えーと、収容所にいたほとんどの人がユダヤ人でしたね。というのは、当時ヨーロッパの共産主義者の98パーセントがユダヤ人だったのです。牧師や聖職者、労働運動指導者、メーソン、国際的団体に加入していた者もいました。

(5)へ続く

ヨーロッパにはユダヤ人を嫌うセンチメントが基盤としてあったんじゃなかったのかな?
それがもとで、人種差別が強まり……
日本のジョーシキってそんなところでは。
この最後あたりを読むと、私のジョーシキが「この文章はナチや」と思わせてしまいますね。
でもね、日本人ってドイツ好きなはずなんだけどねぇ?
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2008年09月17日 Tweet It!

B・フリードマン・スピーチ(3)

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われわれアメリカが参戦した後、シオニストは英国を訪れ、次のように言いました。「さて、われわれは合意内容を実現しました。あなたたちが契約を守り、戦争に勝利した後、パレスチナを我々に与えると示した書類を何かの形でください」
戦争は1年で終わるか、もしくは10年続くか分かりませんでした。そこで、イギリスは受理書を作り出しました。この受理書は手紙の形をとりました。この手紙は非常にあいまいで暗号のようで、世界の大部分はそれが意味するところが分かりませんでした。これが、バルフォア宣言と呼ばれるものです。
バルフォア宣言は英国の約束に過ぎないのです。シオニストにアメリカを第一次大戦に参戦させた報酬として合意したものを支払うという約束。だから、この偉大なバルフォア宣言は3ドル札が実在しないように全くのペテンです。これだけ言っても、私は、誇張しているとは思いません。

そして、ここからすべての厄介な問題が始まったのです。
アメリカ合衆国が参戦した。アメリカはドイツを破った。そうなりましたよね。1919年に戦争が終わり、ドイツ側がパリ講和会議のためパリに行きました。そこには117人のユダヤ人がいました。バーナード・バルークを代表としたユダヤ人を代表する代表団でした。私がそれを知っているのは当然!自分がその一員だったのですから……

それからどうなったか?
平和会議は、ドイツを切り刻んで、ヨーロッパの領土のある部分が自分のものだと権利を主張する国々すべてに分配しようとしていたのですが、そこに参加したユダヤ人たちは「われわれのパレスチナはどうなるの?」と言いました。そして、ドイツ人には初耳となるこのバルフォア宣言を提示したのです。
それで、ドイツ人が、初めて気がついたのですね。「そうか、あれはゲームだったんだ!アメリカが参戦した理由はこれだったんだ!」
ドイツ人は初めて認識しました。自分たちが破れ、恐ろしい金額の賠償金を課せられたのは、シオニストがパレスチナを欲しかったためで、どんな犠牲を払っても手に入れようとしていたからなのだと……

これにはとても興味のある点があります。
ドイツ人がそのことを悟ったとき、ドイツ人は当然それを恨んだでしょう。
この時点までは、ユダヤ人は、これはドイツ以外の世界のどこの国でも受けられないほどのいい暮らしをドイツで享受してきたのです。
ドイツにラーナウ氏がいましたが、このラーナウ氏は、アメリカでバーナード・バルークが産業や金融界で占めている立場より、ずっとずっと100倍も重要な人ではないかと思います。
バーリン氏は2つの蒸気船の航路−北ドイツロイド航路とハンブルグ・アメリカ航路を所有していました。
Bleichroder氏はHohenzollern一族のための銀行家でした。
ハンブルグのウオーバーグ氏は世界最大の巨大マーチャントバンクの持ち主でした。
ドイツではユダヤ人は繁栄を享受していたのです。そのことについては間違いありません。
そこで、ドイツ人は「なるほど。それなら全くの裏切りじゃないのか」と感じたわけですね。

(4)へ続く

これほど分かりやすい「バルフォア宣言」の説明は初めてです……
posted by 狭依彦 at 22:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

B・フリードマン・スピーチ(2)

(1)より続く

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ドイツの国土には一発の弾丸さえも打ち込まれていなかったのです。国境を越えてドイツに入った敵兵士は全く無し。そして、ドイツはイギリスに和平条項を持ちかけていたのです。
ドイツが英国に対して示した和平の交渉は、法律用語で言えば"status quo ante basis"(旧状を保持する)というものでした。これは、「戦争を止めて、すべてを戦争前の状態に戻そう」ということです。
イギリスは1916年夏にはこの申し出を真剣に検討していました。他に選択肢は無かったからです。ドイツの寛大な提案である和平交渉を受け入れるか、もしくは、完全に敗北している戦争を継続するか、どちらかでした。

和平交渉が進んでいる中、ドイツのシオニストたちは、東ヨーロッパのシオニストたちを代表して、英国戦争内閣を訪問しました。
で、この話は長くなるので端折りますが、私は自分の話を証明できる文書は全部残してありますよ……それで、シオニストは言ったのです。「ちょっと待ってください。イギリスが、いつか、この戦争に勝つことも出来ますよ。ギブアップすることはないのです。今、ドイツが提案している和平交渉を受け入れる必要はないのです。アメリカ合衆国が同盟軍として参戦すれば、あなたたちは勝てるのです。」
その時、アメリカは参戦していませんでした。私たちアメリカは元気で、若く、お金もあり、力強かったのです。
シオニストは英国に言いました。「イギリスの同盟国としてアメリカを参戦させ、あなたたちの側で戦わせることを保証しましょう。条件は、勝利の後にわれわれにパレスチナを与えると約束してもらうことです。」

シオニストたちの取引は次のようなものです。「われわれがアメリカを同盟国として参戦させる。その代償に、ドイツ、オーストリア・ハンガリーとトルコを負かし勝利を収めたら、パレスチナを差し出さなければならない。」
イギリスがパレスチナについて誰かに約束できるような権利はありません。例えて言うと、アメリカが日本に対してアイルランドを約束しているようなものです。
英国には、いわゆるパレスチナに対して、つながり、利害もしくは権利などの関係は全くありませんでした。その英国が、シオニストがアメリカを参戦させる見返りの法価としてパレスチナを提供する。そんなことは、まったく不条理なことでしょう!
しかし、英国は1916年10月にそのような約束をしたのです。聴衆の皆さんで覚えておられる方は何人くらいかは分かりませんが、その後すぐ、アメリカはそれまでは全面的にドイツを支持していたにもかかわらず、英国の同盟軍として参戦したのです。

アメリカは全部と言っていいほどドイツ支持だったと言いましたね。その理由は、アメリカの新聞はユダヤ人が支配していましたし、銀行はユダヤ人、わたしたちの国のマスコミ媒体はすべてユダヤ人が支配していたのです。そして、そのユダヤ人がドイツを支持していたのです。
ユダヤ人がドイツ支持だったのは、彼らの多くの者がドイツ出身でしたし、それに加えて、ユダヤ人はドイツがロシアのツアーを負かすところを見たかったからです。ユダヤ人はツアーが嫌いで、ロシアに戦争に勝たせたくなかったのです。
アメリカのクーン・レブなどのドイツ−ユダヤ系の銀行家たちは、フランスやイギリスに一ドルたりともお金を出すことを拒んでいました。傍観して次のように言っていました。「フランスとイギリスがロシアと組んでいる以上、1セントも出せない!」
しかし、ユダヤ人銀行家たちはドイツにお金をつぎ込んでいました。ツアー体制を倒すために、ドイツ側についてロシアと戦っていたのです。

それが、それがですよ、同じユダヤ人たちが、今度はパレスチナを手に入れられる可能性が見えたといって、イギリスに行き、このような取引をするわけですよ。
そのとき、すべてが変わりました。交通信号が赤から青に変わったようなものです。
新聞は全部ドイツ支持で、国民に対してはいろいろな面や商業メディアでドイツを応援していたのに、それが、突然ドイツが悪いとなったわけです。
ドイツは悪党だ。ドイツは野蛮なフン族だ。ドイツは赤十字の看護婦を銃撃している。ドイツ人が赤ん坊の手を切断している。ドイツは悪だ。
その後すぐに、ウイルソン大統領はドイツに宣戦布告しました。

ロンドンにいるシオニストがアメリカの合衆国最高裁判所判事ブランダイス(ユダヤ人)に電報を打っています。「ウイルソン大統領に取り掛かってくれ。われわれの望みのものはイギリスから手に入れた。ウイルソン大統領がアメリカを参戦させるように動いてくれ。」
これがアメリカ合衆国が第一次大戦に参戦した経緯です。
われわれアメリカは大戦に対して利害関係はなかったのです。
今夜、私たちはこの部屋の中にいますが、それが月面にいなければならないなんてことはありませんよね。アメリカが第一次大戦に参戦する正当性もそんなもんです。全く無かった。
第一次大戦が私達の戦争である理由なんて皆無。私たちはそこへの道を歩まされたのです。下品な言葉ですが、騙されて引き込まれた。ただ、世界中のシオニストたちがパレスチナを手に入れるためだけに……
これこそが、合衆国国民が知らされていないことなのです。国民はアメリカが第一次大戦に参戦した理由を全然知らないのです。

歴史の参考記事

(3)へ続く
posted by 狭依彦 at 08:40 | Comment(4) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日 Tweet It!

B・フリードマン・スピーチ(1)

Benjamin Freedmanが1961年に語った「アメリカに対するシオニストの脅威とイスラエルの起源」

元記事(記事のスクリプト)

このスピーチを読んでいて、このスピーチを聞いているような気分になったので、数回に別けて詳しく訳します。
内容は、第一次大戦でアメリカが参戦しドイツが敗れた理由とイスラエルの建国の関係が主なものになります。
我々日本人が学んでいる歴史では想像できないことが「わかりやすく」語られています。たぶん、この記事は、右翼とかネオナチとか反ユダヤ主義差別主義者と非難されそうな記事ですが、日本人が学校で習うような一方からの歴史ではなく、いろいろな角度から検討すべきだと思うので紹介します。


ベンジャミン・H・フリードマン WIKI(英語)

WIKIにスピーチのオーディオファイルへのリンクがあります。
声を聞いたところでは、真実の人のような感じがします。

ベンジャミン・フリードマンはGoogleの日本語で検索すると、ここで取り上げる人とは別人の経済学者の記事しか引っかかりません。


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■紹介のメモ
ベンジャミン・H・フリードマン(Benjamin H. Freedman)は20世紀でも一番興味を持たされる驚くべき人の一人だ。
同氏は1890年生まれ。ニューヨーク市で成功したユダヤ人実業家で、Woodbury石鹸会社の社長をしていたこともある。
1945年にJudeo共産主義者が勝利を収めてから、フリードマン氏はユダヤ民族組織とは決別することとなる。同氏は、それ以降、残りの人生を賭け、また、財産の大部分である250万ドルを費やして、米国を取り込んでしまったユダヤ専制を暴くこととなる。

フリードマン氏は自分が何を語っているかは分かっていた。自分が米国の権力を得ようと企んでいるユダヤ民族組織の高位のインサイダーであったからだ。
フリードマン氏は、バーナード・バルーク、サミュエル・アンターマイヤー、ウッドロウ・ウイルソン、フランクリン・ルーズベルト、ジョセフ・ケネディ、ジョン・F・ケネディなど我々の時代を動かしていた人たちの多くと知己であった。

このスピーチは1961年にワシントンのウイラード・ホテルで愛国的な聴衆に向かってなされたもので、コンデ・マギンリーの愛国的新聞「コモン・センス」のために行われた。
しかし、ある面では、この広範囲にわたる即席のスピーチも時代遅れとなりつつあるが、フリードマン氏のわれわれに対するメッセージの基本部分−西側世界への警告−は以前に増して緊迫してきている−−K.A.S.

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スピーチ(1)

ここ米国で、シオニストたちと同じ教の信者たちは米国政府への支配を完成しました。
それにはいろいろな理由があり、今ここで踏み込んで述べるには数が多く複雑すぎますが、シオニストたちと同じ教の信者たちは、この国の絶対的君主のように米国を支配しています。
こんなことを言うと、えらく大まかな話だと思われるでしょうが、私たち米国民が皆眠り込んでいるうちに何があったかをお話させてください。

何があったのか?
第一次世界大戦は1914年夏に勃発しました。
この会場には私と同年代でそれを覚えている人はあまりいないでしょうね。戦争は、英国、フランスとロシア対ドイツ、オーストリア・ハンガリー帝国で戦われました。

開戦後2年で、ドイツは戦争に勝利を収めました。名目上勝っただけではなく、実質的にも勝利を収めたのです。
世界の驚愕の的となったドイツの潜水艦は大西洋から船団を一掃しました。英国は兵士に与える弾薬もなく、食糧補給も1週間分しか残っておらず、立ち往生していました。その後は、飢餓に苦しみます。
フランス軍には反乱が起こっていました。ソンム地方のベルダンの守備戦でフランス若者の花が60万も失われたのです。
ロシア軍は逃亡していました。おもちゃを持って家に帰ろうとしていたのです。ロシア兵はもはや、ツアーのために戦争をしたくなかったのです。ツアーが嫌いだったのです。
イタリア軍は崩壊していました。

(2)へ続く
posted by 狭依彦 at 23:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月27日 Tweet It!

IQテスト

IQテストとナチの優生学
Stephen Murdoch


ビデオ

■キャプション
20秒
●ナチスはIQに基づいて約20万人の女性を不妊にした。
●ナチスは何十万人もの人をIQに基づいて虐殺した。

1:40秒
ナチのIQの問題
●ビスマルクとは誰か?
●クリスマスが表すものは?
●300マルクが3%ずつ増えると3年ではいくら?
●文章を作れ:兵士−戦争−祖国

2:30秒
アメリカの優生学
●6万人以上の女性が不妊とされた。
●カリフォルニアだけで約2万2千人が不妊にされた。
これらの女性はほとんどが貧乏な人たちであった。

難しいテストですね?
「兵士にされると、祖国を守ると称する戦争に行かされる」
この答えではダ〜メでしょうね。
「私たちは美しい祖国を守るために、兵士となって戦争に行くのもいとわない!○○万歳!」
posted by 狭依彦 at 21:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月23日 Tweet It!

居留地学校虐殺

居留地学校での虐殺:「謝罪」では十分でない理由

(この記事はカナダの新聞社10社に送りました。どの新聞社も掲載はせず、受け取ったとの連絡も全くありませんでした)

皆さん自身の子供が行方不明になり帰ることがない。そんな時を想像してみてください。何年たった、ある日、皆さんの子供の死に関係している人物が判明したとします。しかし、その人物は失った子供について「謝罪」したというだけで、逮捕をまぬがれ刑務所に入れられることもない。その人は、さらに、あなたと「和解」したいと持ちかけるのです。どのように感じますか?
この気持ちを失わないで、あなたの喪失感を何千人もの子供に広げて見ましょう。そして、カナダの政府や教会を有罪に持ち込みましょう。そうすることで、皆さんは、一人の人間として、インディアン居留地学校の残虐行為に向き合うことができます。

元記事

当サイト関連記事 (1)  (2)
posted by 狭依彦 at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月20日 Tweet It!

インデアン居留地学校

集団墓地の場所が明らかにされた

本日、バンクーバー市内の「植民地インデアン問題」ビルの外で行われた公開儀式と記者会見で、団体「行方不明者の友人と親族」はカナダ国内の集団墓地28箇所の場所を発表した。そこにはインデアン居住地学校で亡くなった先住民の子供たちの遺骸が埋められているが、その数はつかめていない。

そのリストは本日世界中の報道関係者と国連機関に配布された。これは先住民の老人が新しく設立した非政府団体International Human Rights Tribunal into Genocide in Canada(カナダにおける虐殺についての国際人権裁判)の最初の活動となる。

元記事

場所の一覧も元記事の最後の方にあります。
(例)
Fort Albany: St. Anne’s Catholic school (1936-1964)
電気椅子で殺された子供たちが学校の側に埋められている。

これらの学校が存在した時代が日本の明治から昭和初期に当たります。
私たちの脳には遠い時代のようにインプットされていますが、アメリカ大陸のインディアン「抹殺」はそんなに古い時代のことではないのですね。
posted by 狭依彦 at 07:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月17日 Tweet It!

第二次大戦首脳の生まれ

第二次世界大戦の世界の首脳たちの血脈
みんなユダヤ人の血を引いている

元記事に写真がいっぱいあります。

元記事

フランクリン・ルーズベルトは有名ですね。
チャーチルのお母さんはユダヤ人。きれいな人ですね。
スターリンには3人の妻がいた、すべてユダヤ人。
アイゼンハワーはスエーデン系のユダヤ人。
posted by 狭依彦 at 00:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月20日 Tweet It!

ブッシュとナチ

シオニストの銀行家たちがヒトラーに権力を与えた

合衆国政府が第二次世界大戦時にとったこれらの行動は、非常に小規模なもので、もう遅すぎた。これが悲劇をもたらす。ブッシュ大統領の一族は、既に、アドルフ・ヒトラーに財政援助と武器を与えるのに中心的な役割を果たし、ヒトラーはドイツを支配することになる。ブッシュ一族は具体的には、ヨーロッパの征服とアメリカに対して戦争するためのナチの戦時産業の育成に資金を出し、それを管理した。また、ナチの大量虐殺理論や人種プロパガンダの展開にも力を貸した。

元記事 機械翻訳

後半、たぶん合っているとおもうけど、アイクが抽出した原文がファジーなので、訳が違っているかも知れません。
機械翻訳では、ブッシュとアヴェレル・ハリマンが並んで出てきますね。
posted by 狭依彦 at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(1) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月20日 Tweet It!

ヒトラーと闇の力

ヒトラーをヒトラーにしたのはどのような闇の力だろうか?
(Henry Makow Ph.D.)

Capt. Mayrが言うには、ヒトラーは「仕事を求めて街をさまよっていた、何千人もの元兵士の一人にすぎなかった」
当時、ヒトラーは自分に好意を見せてくれる人なら、誰とでも運命を共にする用意ができていた……ヒトラーは、アーリア人として、ユダヤ人やフランスの雇われ人としてでも働いただろう。ヒトラーは全く、ドイツ人の運命について無関心であった。」

元記事 機械翻訳





posted by 狭依彦 at 21:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月18日 Tweet It!

ローレンス・オリビエ

ローレンス・オリビエはチャーチルの秘密工作員だった

oli330.jpg

第二次世界大戦開戦時にローレンス・オリビエは、ハリウッドに滞在していたとき、愛国心に欠けると非難され、多くの人に、入隊すべきだと言われた。

しかし、実際には、オリビエは秘密工作員として、影響力のある米国人に対して、イギリスを支援するように説得していたのだ。オリビエの伝記によって明らかになったのことだが、オリビエは1940年代に、映画プロデューサのAlexander Kordaによって、Special Operations Executive(特殊作戦実行委員会)の一員とされている。

元記事

ローレンス・オリビエの名前は記憶のどこかにあって訳しました。写真の女性だと思っていたら、男性なのですね。それも、知っていたような気もしますが。「うろー」覚えでした。ちなみに、「うろー」は狭依彦の本業サイトです。
posted by 狭依彦 at 21:20 | Comment(5) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月11日 Tweet It!

「わが闘争」のタイプライター

ヒトラーがロスチャイルド銀行のタイプライターを使っていた。

象徴的なこまごまとしたことが多くを物語ることがある。ドイツの最大手銀行Deutsche Bankの総裁であるEmil Georg von Staussが、ヒトラーに携帯用Remingtonを貸していた。ヒトラーはそれで、「わが闘争」を書くことが出来た。Von Staussはナチ党の主要な財政支援者の一人であったが、また、長期にわたってロスチャイルドのビジネス仲間であった。

元記事
posted by 狭依彦 at 21:51 | Comment(1) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月12日 Tweet It!

ロシア革命と教会

ソ連が教会は破壊してシナゴーグは見逃したのは何故か?
(Henry Makow)

10月に、読者が的を射た質問を送ってきた。「ボルシェビキはロシアを支配下におさめた後に、宗教を抹殺しようとした。ソ連の哲学は無神論であり、キリスト教会は閉鎖され、聖職者たちは殺されたり、投獄されたりしました。しかし、ボルシェビキは、ユダヤのシナゴーグを閉鎖したり、ラビを殺したり、投獄したりしたでしょうか?この疑問への答えこそ、共産主義の初期段階についての多くのことを説明するものではないでしょうか。真実を教えてください」

先週、アメリカの歴史家Edwin Schoonmakerの本を読んでいたら、その答えにぶつかった。

元記事より("Democracy and World Dominion," 1939, p.211)
ボルシェビキ革命が起こり、マルクス主義が実践されてから15年がたった。American Hebrewの記者は次のように書いている。
「数週間前にロシアに滞在していた作者の情報によると、ユダヤのシナゴーグは一つも破壊されてはいない。それに対して、ギリシャ正教の教会は、百あるいは千の単位で破壊されている。モスクワやその他の大都市では、キリスト教会の破壊の最中であることを知るだろう。政府は、大規模な建物の用地を必要としているのだ。(American Hebrew, Nov. 18, 1932, p. 12)
革命は「人民へのアヘン」だと宗教を破壊しようとしたが、それを指導したApostate Jews(背教のユダヤ人)は何故かロシアのシナゴーグは見逃したのだ。

元記事

興味深い「歴史的事実」です。ぜひ、日本の世界史の教科書にも載せてもらいましょう。たぶん、「そんな瑣末な知識まで教科書に載せる必要はない。生徒は覚えることが沢山で困っているのだ」と判定されるでしょう。
posted by 狭依彦 at 08:25 | Comment(6) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月16日 Tweet It!

ナチス収容所の性奴隷

新規の展示が強制収容所での強制的売春のドキュメントとなっている

ドイツの新規の展示が、ナチスの強制収用所の歴史の中で、特に下劣な行為の1ページを暴露している。それは、男性の奴隷労働者のための売春婦として女性の囚人を強制的に働かせたということだ。ドイツの新たな展示は長い間タブーとされてきた問題を表立てた。第二次世界大戦当時に、生産意欲を起こさせるために、強制収容所の女性囚人に男性奴隷(囚人)に対して、セックスの奉仕を提供させた。

元記事

これは、知らなかったですね。アイクのヘッドラインでしか日本人はこんな情報は得られないのでは。日本では「不適切」な情報として色分けされるのでは……
どこかに、あったりしたら、教えてくださいね
posted by 狭依彦 at 22:07 | Comment(1) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月30日 Tweet It!

ヒトラーとバチカン

ヒトラーはブッシュのようにバチカンに忠誠を誓っていた

ヒトラーはカトリック教会に忠実に仕えていた。そして、自分を権力の座につけたPius XI世とPius XII世への留まるところの無い献身を示していたし、イエズス会への献身も恐れず、恥じることなく認めていた。

ヒトラーとイエズス会との親密な関係を疑う者は、1939年のHermann Rauschning(ダンチヒ政府の国家社会主義者)が録音したものを聞くべきだ。ヒトラーは語る、「多くのものをイエズス会から学んだ。現在までに、カトリック教会の聖職者の階級組織ほど、地球上で、壮大なものはない。私は、この組織の多くを自分のナチ党に転用した。私のBurgs of the Orderでは、世界を身震いさせるような若者を育てあげるつもりだ。」

元記事
posted by 狭依彦 at 22:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月09日 Tweet It!

ウッドロー・ウィルソン賞

カナダのスティーブン・ハーパー首相はウッドロー・ウィルソン(1856〜1924。第28代アメリカ合衆国大統領)にちなんだ賞を受けた。この賞は、良い人間関係に対してのJeffrey Dahmerメダルの伝統のうえにある。過去に同賞を受けた人には、James Baker、Dick Cheney、元首相のBrian Mulroneyなどがある。
私は、ヘンリー・キッシンジャーが1973年にノーベル賞を受けたのを思い浮かべてしまう。

元記事

ウッドロー・ウィルソンの言葉
(アイク)
操られた大統領が自身の経験を語る。

「もっとも不幸な人間は私だ。知らず知らずに祖国を破壊してしまった。偉大な産業国アメリカが預金制度によって支配されるようになっているのだ。アメリカの預金体制は集中化されている。それゆえ、国家の発展は、つまり、われわれのすべての活動は、ほんの一握りの人の手の中にある。
 アメリカは世界でも最も悪い形で統治されるようになった。文明世界では、最も完璧に操作され、支配されている政府となったのだ。自由な意見で選ばれた政府ではなく、信念でもって多数決で選ばれた政府ではない。少数の支配者グループの意見だけで、強制的に作られた政府なのだ。
- Woodrow Wilson
posted by 狭依彦 at 07:42 | Comment(3) | TrackBack(0) | 近現代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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