岸信介はアメリカ政府との秘密に交渉を進め、米軍が沖縄と東京郊外の厚木基地に原爆を置くことを認める代わりに、米政府は日本に「民間の」核計画を進めることを了承することを協議した。
1959年には岸はイギリス訪問を行ったが、その際、軍のヘリコプターでエセックスのブラドウエル原発に行った。
翌年、日米安保条約が広範な平和運動にもかかわらず調印された。
それから数年もたたないうちに、イギリスの会社GECが日本で最初の原子炉を茨城県の東海村に建設した。
それは1964年の東京オリンピック直後であり、新設の新幹線の列車が富士山を滑走するように過ぎる絵が、原発で発電した電気に対して完全な理由付けを与えた。
元記事
島津陽一(Yoichi Shimatsu)というジャパンタイムスの元編集者で香港を本拠とするジャーナリストの記事です。
福島原発の初動対策の遅れを、これまでには語られていない切り口で推理した記事です。
検索したら、島津陽一氏のことおよびこの記事の情報について日本語情報が少ないので、フィルタリングされているかも知れないので、とりあえず歴史的部分についての紹介だけにします。
本当かどうかは分かりませんが興味深い記事ですが、日本語では書けない内容なのでしょう。
デマ情報と決め付けられることは請け合いです。
歴史的な情報については、民主党政権になってから公表された、日米秘密協約に関係しているようです。
みなさんも、英語の記事読むくらいは犯罪ではないでしょう。自己責任で翻訳ソフトでお願いします。
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